鮮やかな色彩と特異な構成スタイルは『へレディタリー/継承』『ミッドサマー』などを手がけたアリ・アスター監督も影響を受けたと語るなど、無二な世界観で、死後30年以上へても熱狂的なファンをもつセルゲイ・パラジャーノフ。数回に渡る牢獄生活を強いられながらも監督や脚本家だけでなく、画家や工芸家としても活動し、人びとを魅了してきた彼の映画作品を時代ごとに見ていこう。
text=AKIKO HONDA
photo cooperation=PANDORA
PROFILE
SERGEI PARAJANOV(セルゲイ・パラジャーノフ)●トビリシ生まれのアルメニア人。絢爛な映像を追求した特異な作風で知られる。『ピロスマニのアラベスク』(1985)ではジョージアの画家ニコ・ピロスマニを描いた。美術家としても活躍した。(1924-1990)
反骨の映画監督パラジャーノフ。
セルゲイ・パラジャーノフは、1924年、アルメニア人の両親のもとに生まれ、ジョージアで育ち、ロシアの映画大学で学んだ。1954年にウクライナのキーウで初の長編映画を完成させ、その後もジョージアやアルメニア、アゼルバイジャン各地で撮影を行った。かつてソ連は、現在のウクライナやベラルーシ、コーカサスの国々を含む、巨大な多民族国家だった。パラジャーノフはまさにその多民族性を体現した人物だったといえるだろう。
しかし同時に、彼の関心は常にソ連体制の中心からすれば空間的にも時間的にも周縁にあたる部分に向けられていた。ソ連では1930年代半ばに「社会主義リアリズム」と呼ばれる様式が、映画も含むすべての芸術の規範となる。それは「リアリズム」といいながらも、実際には政府が人びとに見せたい世界を描く様式だった。だがパラジャーノフは、社会主義リアリズムが要求する理想化されたソ連社会や模範的なソ連人民の姿を描くのではなく、中世の忘れられた伝承や信仰、そしてそれらと結びついた民族芸術の世界を、幻想的かつ時に難解にすら見えるイメージを用いて描きつづけた。
もちろんそのような態度は、ソ連当局と衝突することになる。1947年以降、繰り返し逮捕され、代表作の『ざくろの色』を筆頭に多くの作品が検閲によって切り刻まれた。しかしそれでも、反骨の芸術家が自らのスタイルを曲げることはなかった。この戦いに最終的に勝利したのは、パラジャーノフのほうだった。1985年、ゴルバチョフがソ連の新しい指導者になると、映画に対する検閲は撤廃され、彼は晩年にしてとうとう自由に作品を作る機会を獲得したのである。
●パラジャーノフの名作映画4選
1.『火の馬』(1964年)
民俗色・宗教色豊かな初期の作品。元の題名は『忘れられた祖先の影』。ウクライナ西部の山岳地帯を舞台に、互いに反目しあう2つの家族の息子と娘の悲恋を描く。
2.『ざくろの色』 (1969年)
原題はアルメニアの詩人の名にちなんだ『サヤト・ノヴァ』。絵画のような大胆な色彩や画面構成を用い、詩人の人生と作品を交錯させながら描く、パラジャーノフの代表作。
3.『スラム砦の伝説』(1984年)
映画製作を禁じられていたパラジャーノフの、15年ぶりの監督復帰作品。中世のジョージアを舞台に、スラム砦建設のために人柱となる若者と女予言者の運命を描く。
4.『アシク・ケリブ』(1988年)
ジョージアの貧しい吟遊詩人アシク・ケリブは、領主の娘マグリと結婚するため、1000日にわたる旅に出る。検閲による修正を免れた唯一の作品にして遺作。
TRANSIT62号ではここで紹介したパラジャーノフの芸術だけでなく、ピカソが認めたジョージアの国民画家ニコ・ピロスマニについてフォーカスした企画やコーカサス3国の古代から中世、近代にかけての建築を紹介したページもございます。ぜひ本誌もチェックしてみてください。