映画『リッチランド』公開
原爆がつくられたある秘密都市のこと
▶Interviewアイリーン・ルスティック監督

Cinema - 2024.07.08
その木の実はプルトニウム わたしたちはその果実を食べた―――。

平和で美しいアメリカの典型的な郊外の町、ワシントン州南部にあるRICHLAND(リッチランド)。
人びとは町を愛し、隣人を愛し、仕事に誇りをもって暮らしている。地元高校のフットボールチームのトレードマークは「キノコ雲」と「B29爆撃機」、チーム名は「リッチランド・ボマーズ」。そう、リッチランドは、1942年からのマンハッタン計画における核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」で働く人びととその家族が生活するためにつくられた町なのだ。

映画『リッチランド』は、原爆の材料となるプルトニウムを生産してきた街とそこに暮らす人びとの今を映しだしたドキュメンタリーだ。映画を制作したのは、イギリス生まれでアメリカ育ちのアイリーン・ルスティック監督。来日中のアイリーン監督に、カメラをとおして見たリッチランドについて、映画づくりについて、話を訊いた。

text=MAKI TSUGA(TRANSIT)



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日本上映に合わせて来日していたアイリーン・ルスティック監督にインタビュー。


――映画『リッチランド』を観て、まず「キノコ雲」をトレードマークに掲げている街が現実にあることに衝撃を受けました。リッチランドという街が核兵器の材料となるプルトニウムを生産してきた労働者のベッドタウンであること、なによりそこが一見平和なアメリカの郊外の街の様相をしていてふつうの人びとが暮らしていることにも驚きました。この映画を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。

アイリーン監督:前作『YOURS IN SISITERHOOD(2018)』の制作でアメリカ各地の街を撮影していたときに、リッチランドのことを知りました。多くのアメリカ人にとっても、この街をよく知る人は少ないでしょう。

『YOURS IN SISITERHOOD』は、1970年代に雑誌『ミズ・マガジン』に送られた読者の手紙をたどる話でした。その手紙の中にリッチランドに住む女性から送られたお便りがあったのです。そこには、プルトニウムの生産拠点「ハンフォード・サイト」で働いていたその女性の父親が、放射線関連の病気で亡くなった話が書かれていました。

2015年、前作の取材のために私は初めてリッチランドを訪れました。そのとき、この街にはなにか過去との解決できてない複雑さがあると感じて、とても興味をもちました。




――「過去と解決できてない複雑さ」というのは、具体的にどういった部分から感じたのでしょうか。

アイリーン監督:この映画にも出てくるように、リッチランドには核兵器にまつわる文化が非常に視覚的なかたちで町中に張りめぐらされているんですね。たとえば、キノコ雲が高校の壁に描かれているのを見て、私自身も街のアウトサイダーとして心が乱されるような思いがあったんです。

非常に暴力的なシンボルであるにも関わらず、地元の人びとにとっては非常に普通化されていて、むしろひとつのヘリテージであり自慢すべきシンボルとなっている。その矛盾のようなものに関心を抱いたのです。

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© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC


――映画『リッチランド』では、人と土地の関係性についても考えさせるものがありました。

アイリーン監督:自分の映画づくりを改めて振り返ってみても、他者の歴史の仲介役となるような作品をこれまで撮ってきたように思います。

一作目の長編映画は、自分の母の出身地ルーマニアと母のファミリーヒストリーについて探求する作品でした。母は、自分の歴史や自分の両親の歴史について、自ら掌握することも折り合いをつけることも難しいものを抱えていたのですが、私が映画を撮りながら母やその親や土地の間に入ることによって、その問題が解明されていくようなプロセスをへていったんです。

映画を撮るという行為によって自分や作品がファシリテーターとして機能して、なにかしらの歴史についての理解を深めることができる。私は映画制作をとおして、そのようなプロセスを繰り返し行ってきたような気がします。

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――『リッチランド』を撮りはじめた背景に、右傾化していくアメリカの存在があったと語っていたアイリーン監督の記事*を拝見しました。映画はいつ頃からつくりはじめていたのでしょうか?
*ハンフォード・サイトの研究者であるシャノン・クラムさんとの対談

アイリーン監督:『リッチランド』を撮りはじめたのは2019年です。トランプ政権の期間(2017-2021年)にあたります。


――冷戦後のアメリカは核兵器を縮小する流れにあったと思いますが、トランプ元大統領はロシアの核兵器の条約違反を理由に中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱していますね。そういったことも危機感としてあったのでしょうか。

アイリーン監督:トランプの話は事実ですが、映画を撮る動機として先にあったのは、リッチランドのコミュニティにある「歴史や現実を見つめない」という拒否の姿勢であったり、愛国主義であったり、イデオロギーのようなものをより深く知りたいという想いでした。ですから核問題のリサーチは、リッチランドを撮ると決めてからはじまりました。

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© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC


――この映画はリッチランドでも上映されたんでしょうか?

アイリーン監督:はい。はじめての上映はリッチランドのコミュニティの人たちが集まって自主上映してくれたんです。何百人もの人が来てくれて、上映後に1時間もずっとみんなが語り合う時間がありました。それは私にとって感動的な体験でした。その後は商業的な映画館の上映になり、たくさんの人にこの映画を観てもらうことができました。

映画を観た人からたくさんの言葉をいただいたのですが、リッチランドの地元の方から「これは外の人でないとつくれなかっただろう」と言われたことが印象に残っています。自分たちの複雑な歴史を、自分たちではこのように多面的に捉えることはできなかったと、その方は話していました。

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――たしかにこの『リッチランド』を観たときに、「加害性」というキーワードを思い浮かべました。それが自分自身であったり、自分が属するコミュニティ、それは国かもしれないし、地域かもしれないし、企業や家族かもしれないし、それらが与える加害についてじっと見つめ返すような感覚がありました。

アイリーン監督:日常生活のなかにも加害性というのはあって、それがほんとうに普通化されていたりしますよね。たとえば気候変動もそうです。環境に非常にダメージを与える行為であるとわかっていながら、利便性を優先して身の回りの行動変異を起こせないことはたくさんあります。多くの暴力を知らずしておこなっているというのは、本当にそのとおりだと思います。

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ハンフォード・サイトが核開発の拠点となると、一帯の土地と建物はすべて政府所有となり、住民の往来も制限された秘密都市となった。


――原爆においては、世界で広島と長崎だけ使用されていることを思うと、日本人である自分は被害者側にあり、原爆をつくった国や街は加害者側にあるようにも感じてしまいます。ただ原爆がつくられたリッチランドには、本当にふつうの人びとが暮らしていることが映画からわかる。また第二次世界大戦ということで考えると、日本はアジアの国々を植民地化してきた面がある。そういった、被害と加害について、またその奥にある日常、そして自分が暮らす土地で自然と纏ってきた歴史感など、さまざまなことを考えさせられました。映画『リッチランド』では感情的ではなく距離感をとって街が映し出されていて、観る人が思考できる余地があるように感じました。

アイリーン監督:偏見がないということと分析的な視点をもつということは、別のことだと思っています。

私は核兵器に対してバイアスはなかったとしても、批評的な視点で分析的な映画をつくったつもりではいるんですね。たとえば映画のなかでプルトニウムの歌を合唱する人びとを映したり、あるいは川野ゆきよさんがつくったファットマンを象った作品をリッチランドの荒野に置くシーンを撮ることで、ある種の批評性的な表現をしています。

ただ一方では、目に見えない社会の構造や人への理解を深めるためには、時間をかけなければいけないという現場の理屈があります。なるべく差別なく人と対話をしていくというのも、この世の中で重要な要素だと思います。

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――『リッチランド』を撮る前と完成した後で、アイリーン監督のなかで変化はありましたか?

アイリーン監督:とても大きく自分が変容したように感じます。

実のことをいうと、この映画ではたくさんの地元の方に出会ってインタビューをしましたが、そのなかには自分と価値観が違う人もいました。それでも話を聞きつづけるという心の寛容さが、この映画をつくるうえでは非常に大切なことでした。

自分と意見が異なる人たちのなかにも自分と一致するところを見つけて、会話をつづけていく。このプロセスを体験することで、私のこの街に対する判断を寛容にしてくれたと思います。この映画は私自身に、他者と忍耐強く向き合うことを教えてくれました。

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――そうやって時間をかけて撮影されたなかで零れ落ちてきた街の人の言葉の数々に、真に迫るものがありました。映画の冒頭には、放射能の除染作業をする街の人たちがでてきますね。ただ除染作業をしても、10億年かかっても、人が住める土地にはならないということを、街の人が話していましたね。

アイリーン監督:終わりのない除染作業をどういったモチベーションでつづけるのかという問題はありますが、汚染状況をマネジメントするのは大事なことだと思います。過去にはそうした管理を怠って、核廃棄物が川や大地に流れ出た事故がありました。

家族代々でプルトニウム関連の仕事をしてきたという労働者もいますし、一方で科学者やエンジニアのように外の街からやってきて重要な研究をしている人たちもいます。あの街はそういう場所なのです。


――目に見えない登場人物、「国家」の存在についても強く意識させられる映画でした。1945年7月にオッペンハイマーがロスアラモスでトリニティ実験を行って爆発に成功させますが、それは同時に自分たちの国土を放射能で汚染することでもあったわけですよね。冷戦時も、アメリカ国内外で核兵器の爆破実験が頻繁に行われてきて、そこに暮らす人の安全よりも国家の存続のほうが優先されてきていますね。

アイリーン監督:そこには本当に大きな矛盾がありますよね。アメリカは核兵器を開発した国であり、世界でもっとも核兵器が爆発されてきた国でもあります。

ネバダ州の砂漠では、1951〜1992年にかけて900回以上もの核兵器のテストが行われてきました。核兵器が安全でないとわかっているにもかかわらず、世界の安全のために自分たちが暮らす大地やそこに住む人びとを汚染しているのです。

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――最後に、日本で『リッチランド』を上映することについてメッセージをお願いします。

アイリーン監督:この映画を完成させたときに、まずリッチランドと日本では必ず上映したいと思っていたので、今回の機会を大変幸福に思っています。この映画について、日本のたくさんの人の意見を聞いたり会話したいと思っています。

たとえば映画『オッペンハイマー』のように、爆弾が一瞬のことだと思われがちなのは誤解なんです。原爆というのは、ずっと継続してつづいていく"状態"なのです。1945年から約80年を経た現在でも、アメリカと日本では日常的に原爆の影響を受けつづけている人たちがいるのです。

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【リッチランドにまつわる年表】

1805年......先住民ワナパム族、ワラワラ族などが暮らしていた土地にルイス・クラーク探検隊が到達する
1904年......W.R.アモン、ハワード親子が土地を購入して、現在のリッチランド一帯に街をつくる
1905年......郵便局がこの土地を「リッチランド」と命名(州議会議員ネルソン・リッチに由来)
1942年......核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」の建設が決定される
1945年7月......ハンフォード・サイトでつくられたプルトニウムからロスアラモス研究所で原子爆弾が製造され、ニューメキシコ州アラモゴード爆撃試験場で核実験がおこなわれる(トリニティ実験)
1945年8月......ハンフォード・サイトのプルトニウムから製造された原爆「ファットマン」が、長崎に実戦使用される。広島では推定約14万人、長崎では約7万4000人が原爆によって亡くなる
1958年......住民と外部の接触の制限が解かれ、核兵器の生産拠点だけでなく他の産業もするようになる
1987年......INF(中距離核戦力)全廃条約にレーガン米大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が署名。ハンフォード・サイトの核燃料生産用の原子炉が閉鎖される
2014年......ロシアが地上発射型巡航ミサイルの発射実験を行い、オバマ大統領がINF条約違反だと抗議する
2015年......ハンフォード・サイト、ロスアラモス、オークリッジとともに「国立歴史公園」に指定される
2018年......トランプ大統領がINF全廃条約からの離脱を表明、翌年に失効した

PROFILE
Irene Lusztig(アイリーン・ルスティック)●映像作家、アーカイブ研究者。イギリス生まれ、アメリカ・ボストン育ちのアメリカ人1世。両親はチャウシェスク政権下のルーマニアから政治亡命舎として逃亡。映画『リッチランド』以前にも3つの長編作品を制作。カリフォルニア大学サンタクルーズ校で、映画およびデジタルメディア学教授として映画制作を教える。
INFORMATION

『リッチランド』

(2023年製作/アメリカ)

原爆の材料となるプルトニウムがつくられた街・リッチランドでは、「キノコ雲」がいたるところで掲げられ、原爆は戦争の早期終結を促したと誇りを感じる人もいれば、多くの人の命を奪った原爆に関与したことに逡巡するものもいる。また「川の魚は食べない」と語る住民もいて、街の人びとは核廃棄物による放射能汚染への不安を抱えながら暮らしている。第二次世界大戦、冷戦をへて、アメリカは"原爆"とどう向き合ってきたのか? その罪と痛みを背負うのは誰なのか? 近代アメリカの精神性、そして科学の進歩がもたらした、人類の"業"が重層的に浮かび上がる叙事詩的ドキュメンタリー。
2024年7月6日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

HP|https://richland-movie.com/
監督|アイリーン・ルスティック
宣伝|テレザ
配給|ノンデライコ
© 2023 KOMSOMOL FILMS LLC

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