#未来が生まれる旅
バングラデシュでみつけた奇跡
出雲 充(ユーグレナ創業者)

住み慣れた場所を飛び出して旅に出る。その地ではじめての光景に出くわし、知らなかった価値観に触れる。それがときには自分や社会の未来まで変えて、新しい世界をつくっていくこともーーー。そんな"未来をつくる"旅の話を訊いていくインタビュー企画。

今回は、ユーグレナ(和名:ミドリムシ)の大量培養とビジネス化を成功させた株式会社ユーグレナの創業者・出雲充さんに話を伺いました。食品や化粧品、燃料の原料として注目を集めているけれど、そもそも現在の仕事を志すきっかけになったのは、大学時代のバングラデシュへの旅だったという。出雲さんがそこで出合ったものとはーーー?

photography=KOHEI KOMATSU
text=MAKI TSUGA(TRANSIT)



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出雲 充(いづも・みつる)●1980年、広島生まれ。株式会社ユーグレナ創業者・代表取締役社長。世界で初めて微細藻類ユーグレナの食用屋外大量培養法を確立した。第1回日本ベンチャー大賞「内閣総理大臣賞」、第5回ジャパンSDGsアワード「SDGs推進本部長(内閣総理大臣)賞」受賞。著書に『僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。』『サステナブルビジネス』等。

―――出雲さんは栄養豊富な新しい食材としてユーグレナを研究してビジネス化を成功させましたが、栄養価の高いものをつくろうとしたきっかけが、大学生の頃に訪れたバングラデシュへの旅だったそうですね。いったいなぜバングラデシュへ行こうと思ったのでしょうか?

出雲 充(以下、出雲):高校生の頃、将来は国連の職員になりたいと思っていたんです。そのために学生時代は途上国で開発支援のインターンをしようと決めていました。できるだけ大変な現場へ行きたくて、大学1年生の夏休みに、当時、最貧国の一つだったバングラデシュへ飛び込んだんです。

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東京港区にあるユーグレナ本社。入り口の冷蔵庫には看板商品の「からだにユーグレナ」が並んでいる。会議室には一つひとつユーグレナの「株」の名前がつけられている。

―――バングラデシュに滞在している間は、何をされていたんですか?

出雲:現地のNGOでインターンをしていました。当時のバングラデシュは行政がまだあまり整っていないので、教育、通信、衛生、福祉といった役割をグラミン銀行とBRACという2大NGOがほとんど担っていたんです。私はそのなかでも、グラミン銀行とBRACが運営する小学校の運営の手伝いをしました。

手伝うといっても、現地で使われているベンガル語はできないし、当時は英語もそこまで話せなかったので、地元の女性たちに向けた銀行のタウンミーティングでお茶を出したり、学校で子どもたちの身体測定をしたり、ポスターを貼ったり、とにかくなんでもやりました。

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―――銀行や学校を通して、現地の生活を見てきたんですね。当時のバングラデシュはどんな国でしたか?

出雲:私がバングラデシュを最初に訪れたのが1998年。いまでこそバングラデシュは年7%の経済成長率で後発発展途上国を抜け出す勢いですが、当時は首都ダッカにも車がなくて、リキシャが走っているような状況でした。

初めての海外で初めてのバングラデシュは、あらゆることが衝撃でしたね。日本では公立の小学校は誰でも通える学校で、私立は裕福な家庭の子どもが通うものというイメージがあると思いますが、バングラデシュでは逆なんです。貧しい子がみんな私立の学校に行くんです。なぜだと思いますか?

公立の小学校は給食代が払えないと入学できないんです。NGOが運営している私立の学校であれば生徒たちの給食代を寄付や団体の運営費で賄っているので、生徒は無料で通うことができる。そのかわりといってはなんですが、私立では設備が整っていないところもあって、上級生のお兄さん、お姉さんたちが使ったボロボロの教科書をもらい、30人で15冊を共有して使っていたりしました。そういった状況を目の当たりにして、「なぜこういうことになるのだろう」って思うじゃないですか。だから下校のときに一緒に子どもたちの家に帰って、どうやって暮らしているのかを見にいったんです。

私がインターンで手伝いをしていた学校はダッカのスラム街にあったので、子どもたちもスラムに帰っていくんです。街はインフラの整備が不十分で、人びとは電線から線をつないで勝手に電気を使っていました。電力は弱くて、1世帯に電球が1つつくくらい。ガスは広大なスラム街のなかで、1、2カ所から漏洩したものをみんなでうまく分け合って使う。都市部は人口密集度がダントツに高いので、水飲み場とかお手洗いとかはそれはもうシビアな環境ですね。

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大学1年生の夏休みにバングラデシュでインターンをしていたときの出雲さん。 ©︎Euglena Co.,Ltd.

―――バングラデシュでいろんな衝撃を受けてきたんですね。とくに心に残っている出来事はありますか?

出雲:その旅でグラミン銀行を立ち上げたムハマド・ユヌス先生にお会いしたのがすべてですね。出会ったといっても、当時は遠くからユヌス先生を見ただけなんですが、それでも「本当にこんな人がいるんだな」と思いました。銀行、学校、通信システム、何から何までつくりだして、バングラデシュを諦めなかった人ですからね。

私がユヌス先生に会ったのは1998年だから、先生がノーベル賞を受賞される2006年より前のことなんですけど、もうひと目見てファンになって、先生が日本に来るたびに講演会を聞きにいって、追っかけになりました(笑)。

今では、グラミングループとジョイントベンチャーの「グラミンユーグレナ」を立ち上げているので、直接ユヌス先生にお会いして話す機会があります。グラミングループが他団体と協業した「グラミン〇〇〇〇」というのはいくつかあるんですけど、先生が会長をやっているのは世界に2つだけ。ユーグレナ社とダノンだけなんですよ。ちょっと危なっかしいから、「お前、本当に大丈夫か」と先生も気にかけてくださっているのかもしれませんけど(笑)。

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『TRANSIT 東インド・バングラデシュ特集』でもインタビューをした、グラミン銀行の創業者ムハマド・ユヌス氏。貧しい人でも少額から融資を受けられる「マイクロクレジット」を提唱・実践。社会問題を解決するソーシャルビジネスを展開し、2006年にノーベル平和賞を受賞。バングラデシュ人で初めてのノーベル賞受賞者となった。

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ユヌス氏と出雲さん。手に持っているのは、大学生時代にバングラデシュで買った思い出の詰まったTシャツ。 ©︎Euglena Co.,Ltd.

―――帰国後、大学でユーグレナの研究をはじめられたと思うのですが、その理由は?

出雲:バングラデシュの人は、お米とカレーはたくさん食べているのに栄養失調の人が多かったんです。電気や流通が発達していないので、栄養価の高い肉、魚、野菜を新鮮な状態で手に入れるのが難しくて、そのために具のないカレーを食べている人たちがいた。それで栄養を簡単に摂取する方法はないかずっと考えていて、あるときユーグレナにいきついたんです。植物と動物の両方の特性をもって、栄養価も高い。ユーグレナを大量培養して食品化ができないかと、大学時代から研究をはじめたんです。

―――旅で出会った疑問や課題を忘れずに自分のなかにおきつづけて、それを仕事につなげることができたのはなぜでしょうか?

出雲:大学を卒業して起業の準備をするタイミングで、アメリカのバブソン大学に留学していたことがあったんです。アントレプレナーシップ(起業家)教育において世界で一番有名な大学なんですが、そこにいた故ジェフリー・A・ティモンズ先生の授業を受けていたんですね。

ティモンズ先生が最初と最後の講義で話していたことは同じことでした。「起業家というのは、コンフォートゾーンを飛び出して夢を見つけた人だ」ということを言っていたんです。だから私がバングラデシュで体験してきたことは、そのコンフォートゾーンを抜け出した先に見たものだったんだなと。これが一生をかけて自分がやる仕事なのだと思いました。

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―――現在はバングラデシュでソーシャルビジネスのお仕事をされていますが、バングラデシュに再訪したのはいつ頃だったのですか?

出雲:グッドクエスチョンですね。最初にバングラデシュへ行ったのが1998年8月で、次に行ったのが2013年1月です。再訪するまでに15年かかった。理由はシンプルで、もうそれどころじゃなかったんです。大学でユーグレナの研究をつづけて、卒業後の2005年に立ち上げたユーグレナ社が軌道に乗るまで、日本を離れられなかった。私が不在にしていたら、会社が潰れるかもしれなかったので(笑)。2012年12月に会社が上場して、そこでようやく海外出張に行けるようになりました。

―――バングラデシュでユーグレナ社が取り組んでいることについて教えてください。

出雲:2014年4月から「ユーグレナGENKIプログラム」という、子どもたちにユーグレナ入りのクッキーを配布する取り組みを行っています。1000食からはじめたこのプログラムの資金には、ユーグレナ・グループ全商品の売上の一部を当てているんです。コロナ禍では学校や流通がふだんどおりにはいかなくなって苦労しましたが、2022年にはバングラデシュの学校に通う1万人の子どもたちに毎日クッキーを無償で配布することができました。クッキーにはバングラデシュの子どもたちが不足しがちなビタミンCなどの栄養素1日分が含まれています。目指すは1日100万人。日本でいうとおおよそ1学年に100万人の子どもがいるんです。バングラデシュの生徒数はもっと多いですが、全員が栄養失調というわけではないので100万という数字を目標にして、子どもたちを健康にしたいと考えています。

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「ユーグレナGENKIプログラム」でバングラデシュの子どもたちにユーグレナ入りのクッキーを配る。 ©︎Euglena Co.,Ltd.

―――「グラミンユーグレナ」ではどんな活動をしているのですか?

出雲:「緑豆プロジェクト」を立ち上げて、生活が困窮しているバングラデシュの農家の方の暮らしがよくなるように、農業技術指導で緑豆栽培方法を教えています。緑豆はそこまで馴染みがないかもしれませんが、現地ではダルスープでよく使われている豆で、もやしの原料でもあるんですよ。

このプロジェクトは2017年に本格化したロヒンギャ難民(ミャンマーのイスラーム系少数民族)問題ともかかわりがあるんです。推定200万人いるロヒンギャ難民のうち、国連UNHCRの推計では90万人以上がバングラデシュ国内に避難しているといわれています。

2017年8月にロヒンギャ難民問題が起こったんですが、とにかく私もなにか手助けをしたいけれど、現場に行ってみないとわからないということで、同年12月に難民の避難先になったバングラデシュのコックスバザールに飛んで視察をしてきました。難民キャンプを訪れてみるとロヒンギャの子が案内してあげるといって、丘の上に連れていってくれたんですが、丸裸になった茶色い地表にどこまでも巨大なテント群がつづいていて驚きました。

もともと田畑と森が広がっていたバングラデシュの緑の大地に、ある日突然、大量のロヒンギャ難民がやってきて、木や竹林を切ってテントを建てて住みはじめて、その光景ができ上がったんです。国軍に追われてミャンマーから逃げてきたロヒンギャの人びとも大変ですが、実はバングラデシュの現地の人たちも苦しい状況に置かれていることがわかりました。

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バングラデシュにあるロヒンギャ難民キャンプで特製ユーグレナクッキーを配る。 ©︎Euglena Co.,Ltd.

―――(写真を見る)難民キャンプがひとつの村のようですね。ここに森があったとは思えない。このキャンプはバングラデシュ政府が避難場所に指定した土地だったんですか?

出雲:いやいや。用意も何も、急にミャンマーの国軍に追われてロヒンギャの人たちが逃げてきて、国とも地元の人とも意思疎通はなく、ここの木を切って住み出したんですよ。バングラデシュ政府は「土地の交渉は難民にしてくれ」と地元の人たちに言うんですけど、バングラデシュの農家さんも難民の人に何も言えないじゃないですか。地元の人に話を訊いてみると、「昔、ここは僕の畑だったんだけど、難民が住み始めてから農業ができなくなってしまった」という人が大勢いらっしゃいました。

そういうバングラデシュの人たちにグラミンユーグレナが日本の農業技術を教えて、スーパー農家さんになってもらう。彼らが育てた緑豆を私たちが高値で買い取って、日本でもやしにしたり、現地では緑豆をWFP(国連世界食糧計画)に買ってもらって、WFPが難民キャンプでその豆を配給して......。そうやって、つくるところから売るところまでの流れをグラミンユーグレナで担うことで、農家の方がお金に困らないようにしたいと思って、プロジェクトを立ち上げたんです。

現在、WFPとユーグレナが契約を交わして、WFPの資金をいただいてグラミンユーグレナが現地支援を行っています。国連のカウンターパートのほとんどは政府や国境なき医師団のようなスーパーNGOなので、グラミンユーグレナのようなベンチャー企業がWFPと共同作業をすることはかなりレアケースですね。

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―――その場に行ってみないと、誰が何に困っているのかわからないですね。難民と地元の人がいがみあって終わるんじゃなくて、食べ物をとおしてつながりなおすことができる。憧れだった国連やユヌスさんと仕事でつながっていくのもおもしろいですね。

出雲:ユヌス先生に関しては、私にとって「バングラデシュの魅力=ユヌス先生がいる」くらい大きな存在です。私はユヌス先生に18歳のときに初めてお会いしたわけですが、それまでは伝記というのは結構いい加減なものだと思っていたんです。ガンジーとかナイチンゲールとか、偉人伝はあとから話を盛っているんじゃないかって(笑)。でもユヌス先生にお会いして、なんというか理屈ではなく、「こうやって生きてる人で偉大な方がいるんだ」ってわかった。

―――直接言葉を交わしたわけでなくその人の姿を見たという出会いだけで、ずっと思いつづけられるものなんですね。

出雲:私にとっての師匠ですね(笑)。ユヌス先生はアメリカに留学されて、大学で助教授をされていましたが、経済の力で自国を豊かにしたいと思ってアメリカからバングラデシュへ戻ってきて、チッタゴン大学の経済学部長をされていたんです。でも大学の経済学部で教鞭をとっていても、なかなか国がよくならない。そこで自ら貧しい人に無担保でお金を貸せる金融サービスをつくって、ジョブラ村で42世帯に27ドルを融資するところからスタートし、それが900万人まで広がった。900万人を救ったって、神様ですか、なんなんですかって......。本人はすっごい気さくな方で、いつもニコニコしているんですよ。

―――バングラデシュでは、NGOがいわゆる日本でイメージされるような非営利団体と違う動きをしていると聞きました。大きな雇用も生んでいて、現地では若者に人気の就職先だとも。

出雲:グラミングループも企業の性質と非営利の性質を併せもった存在ですね。今、バングラデシュで最大の企業というのがグラミンフォンで、ダッカ証券取引所にも上場している株式会社です。とにかく気づいた人が自分がいいと思ったことをやると、お客さんがついてくる。まさにそれがアントレプレナーシップ(起業家精神)ですよね。バングラデシュのそうした動きは、未来そのものだと非常に強く感じます。

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―――バングラデシュでの出会いがなければ、出雲さんは別のことをしていたかもしれないですね。

出雲:ユヌス先生は人の人生を変える方なんですよ。別れ際には必ず「"Do it your best with joy." 笑顔で元気にやれよ」といったことをおっしゃるんです。偉大なことを成し遂げた師匠が、いまも元気に働いている姿を見ていると、ブツブツ文句を言っていてもしょうがないなと思いますね。少なくとも日本にいるだけで、バングラデシュよりすべてのあらゆる面で恵まれていますから。そのすべてのあらゆる面で大変なバングラデシュでこんな奇跡そのものをやりつづけている人がいらっしゃる。じゃあ私もやろうって、思いますよね。



■PROFILE
出雲 充(いずも・みつる)●1980年、広島生まれ。株式会社ユーグレナ創業者・代表取締役社長。世界で初めて微細藻類ユーグレナの食用屋外大量培養法を確立した。第1回日本ベンチャー大賞「内閣総理大臣賞」、第5回ジャパンSDGsアワード「SDGs推進本部長(内閣総理大臣)賞」受賞。著書に『僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。』『サステナブルビジネス』等。

HP:https://www.euglena.jp/

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