©Darren Jew
TRANSIT55号「
未来に残したい海の楽園へ」では、素のままで世界中の海に潜ってメッセージを伝えている"水族表現家"、二木あいさんにお話を伺いました。
ときにクジラと泳ぎ、ときに白黒写真で海の生き物の姿を写し出す。「すべてがつながっていると感じられる」という、ふしぎな海の世界とは、一体どんなものなのでしょうか?
text=MIKITO MORIKAWA
素潜りで水中生物と人間の架け橋に
素潜りをする目的は、水中の生き物の声を届けることです。長く水中にいたり、深く潜ったりすることではありません。クジラ、イルカ、カメ、ワニなどに声があるわけでもなく、彼らのいる場所へもなかなか行けないので、私が代わりにおじゃまして伝えています。
スキューバダイビングなら水中に長くいて観察することはできますが、息をすると音と泡が出てしまいます。それらは水中にないものなので、スキューバダイビングでは水中の生き物の仲間になれないのです。最初に素潜りを体験したときから、「これなんだ」とはっきりわかりました。
素潜りなら水の中を本当に自由に泳げますし、海の生き物と同じ方法で泳ぐことにより彼らの自然な姿を伝えられます。私はもともと写真を撮る側だったのですが、素潜りの場合は大きなカメラを持っていけないので、自分の力だけで勝負することになります。
素潜りを選んだため、必要なときにちゃんと動けるよう呼吸法や体のメンテナンスはしています。ただ、素潜りは99%がメンタルの話ではないかと思います。潜る前の最後に吸う空気は2割ぐらいしか体内で使われず、何度も深呼吸するのは自分を落ち着かせるためです。また、体内で酸素をもっとも使うのが脳なので、いろいろ考えるとよくないわけです。「今日中にメールを送らないと」とか「ご飯のメニューをどうしようか」など、人間世界のことは陸上に置いてきて、海では水中生物と同じなんだと思うぐらいがいいのではないでしょうか。考えることを横に置くと、自然の微細な変化をちゃんと受け取れるようになります。
水中生物との言葉を超えた対話
人間が水中にいられるのは、即席ラーメンもできあがらないくらい短い時間です。それでも素潜りをしている1分間で、生き物と出会い、はじめましてから何かしらやりとりがあり、じゃあねというまでのコミュニケーションが十分成り立ちます。
ただ、水の中は言葉が通じないし、人間がずっといられるわけではないので、精神や振動など目に見えないものが大切になります。水中では、振動が陸上より4倍速く伝わるといわれています。人間が水中生物を認識する前に、彼らは振動でこちらを認識しているので、私たちが平穏な心持ちではなく嫌なオーラを出していると、絶対に近寄ってきません。逆に、心を落ち着けて自然や生き物のサインを感じて行動していると、生き物がいる場所にたどり着けることもあります。海の世界とのダイレクトなやりとりを通して、すべてがつながっていると感じます。
人間社会では左右を確認してから行動しますが、自然世界では考えてから行動するのでは遅いわけです。過去のことを考えても何も変えられないですし、未来のことを考えても、まだ起きていないからどうしようもできないので、今ここにいることに意識を集中させることが大事です。それは考えるというより、感覚を研ぎ澄ませるということです。
クジラと泳いでいるときに彼らの目を近くで見ると、私の外見というよりも内側まで見透かしているようで、いくら何かを隠したところですべてばれてしまう気がします。同じ哺乳類だからか、感情もみてとれます。
2000mまで潜ることのできるマッコウクジラに会いに行ったときのことです。子どものクジラは親と同じようには長く息が止められないので、お母さんが潜っている間は水面で待っています。1カ月の滞在中、彼らとは3、4回一緒に泳ぐことができました。ある時、子クジラと45分ほど過ごした後、「お母さんが帰って来るのでまたね」という感じになったんです。そうしたら、2頭いたうちの1頭が振り向いて、首をかしげるようにして「一緒にご飯食べる?」というそぶりを見せたのです。私が「ダイオウイカは食べないから」という感じを示したら、まるで「そうか。じゃあ私たち行くね」というように去っていきました。私の幻想ではなく映像にも残っていて、仲間としてご飯を一緒に食べようと呼んでくれたことは強く印象に残っています。
水族表現家として伝えたいこと
私の表現者としての強みは、言語化して伝えることと、写真や映像で伝えることの、両方があることだと思います。たとえば環境問題は、いろんな方がさまざまな方法で提起されていますが、つらい、汚い、悲しいと、ネガティブに伝えられることが多いと思います。すると受け取った側は、問題に向き合う前に「私はやってないから」と壁を作ってしまい、本質的なメッセージを伝えられません。
©︎AI FUTAKI二木さんの写真展で並べて展示されたクラゲの写真と、よく似たプラスチック袋の写真。海洋ゴミという説明を前面に出さなかったのは、見る人の想像力を信じているから。
私が撮影したクラゲとプラスチック袋の写真は、透明で光を反射していて綺麗に見えます。人間の私でさえ「綺麗だな、なんだろう」と感じ、思わず近づいてしまいます。プラスチック袋の存在を知らないカメであれば、クラゲと間違えて食べることが当然起きます。この問題を伝えるとき、「この綺麗なものはなんだろう」「いや実はね」と言ったほうが、相手に伝わると思うのです。写真が白黒なのも、カラーに比べて情報が少ないほうが、見る人の想像を喚起できると思うからです。相手が心で納得しないと何も変わらないので、心の部分へ語りかけることが大切です。他人の考えを変えるのは、本人のエゴでしかありません。私は相手を変えるというより、皆さんにお伝えして「あとは皆さん次第です」というスタンスで共有しています。
環境問題は外に解決策を求めようとしがちですが、実は解決策はすべて自分のなかにあると感じます。自分が健康でないのに外の世界を健康にできるとは思いませんし、自分をちゃんと尊重していなければ、どうやって他人を尊重できるのでしょう。自分のなかに調和があれば、外に対しても優しくなれます。遠回りに思えるかもしれませんが、まずは自分自身を大事にすることが大切です。今はコロナ禍で少し変わりましたが、皆さん忙しい毎日を過ごしています。ずっと走りつづけると大事なものを見失いがちなので、少しでも立ち止まることが大切だと思います。
私にとっては、地球と深い部分で向き合えるのが、海だったり水の中の世界だったりするのです。水中は遠い世界だと思われがちですが、実は生活とつながっています。私の水族表現家としての活動も、水や海とのいろんなつながりがきっかけで始まりました。海の世界はなんだかわからないことが多いけれど、誰しもが海に対して懐かしさを感じるものです。その意味を言語化したり理解したりしなくても、海と奥深い部分でつながっていればいいのではないでしょうか。私も水族表現家として発信するなかで、それを受け取ってくださる一人ひとりとなんらかのかたちでつながっていければ、それがいつか花開くと思っています。
二木あい(ふたき・あい)●人間目線でなく、水に生きる部族の一員として水中世界を伝えるために水族表現家を名乗る。酸素ボンベなしで世界中の海を潜り、水中と陸上の架け橋となるべく写真や映像を通してメッセージを発信。
TRANSIT55号「
未来に残したい海の楽園へ」
古今東西、海を舞台にさまざまな文化が育まれ、豊かな自然環境はもちろんのこと、長い歴史で秘めてきたロマンなど、さまざまな海からのギフトに、人びとは精神的にも肉体的にも恩恵を受けてきました。一方で、多様な生物が支えあって暮らしている海では、気候変動や人間の活動による海洋汚染をはじめ海をめぐる環境も変化し、問題が顕在化しています。世界各地の海への旅を想像しながら、未来へ残したい海に思いをはせる、新リゾート案内です。
特集内容:オーストラリア、マレーシア、ハワイ、西表島、スペイン、アメリカ、北極・南極、高知、海の楽園ガイド、海の生き物図鑑ポスター......etc.
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