#What's メソアメリカ文明?
古代メキシコ展の展示品とともに
6つの文明を解説!

東京国立博物館で開催中の『古代メキシコ』展(〜2023年9月3日)。本展ではメソアメリカ文明を代表するマヤ、アステカ、テオティワカンの3つの文明に焦点を当て、140件の史料とともに古代メキシコの世界を掘り下げています。

今回はそんな展覧会を楽しむ予備知識として、古代メソアメリカ文明をおさらい。「そもそもメソアメリカってどのあたり?」「マヤもアステカもメソアメリカ文明の一つ?」そんな基本的な疑問から解決していきます。

photography & text = TRANSIT



メソアメリカとは?


16世紀のスペイン侵攻以前にアメリカ大陸先住民によって独自の文明が発達した地域のこと。メキシコの大部分とグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカの一部が含まれます。
「中間、中央」を意味する「メソ」の言葉のとおり、ちょうどアメリカ大陸の真ん中あたりに位置しています。

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「新大陸」とも呼ばれるアメリカ大陸に人類が進出したのは1万3000年以上前。まだベーリング海峡が陸つづきだった氷河時代、人類は北東アジア、シベリアからアラスカをへて北米へと到達します。最初のアメリカ人は、実はアジアからやってきた人びとだったのです。

人びとは北米からさらに南下し、メソアメリカ地域や南米大陸にまで到達します。その後、南米ではインカ帝国に代表されるアンデス文明、メキシコと中米の一部には、メソアメリカ文明が形成されました。

メソアメリカ文明の発祥は紀元前2000年頃まで遡るといわれています。それからスペインに侵攻される約3500年もの間、今回の展覧会で扱うマヤ、テオティワカン、アステカを含む、おもに6つの文明が花開きました。その中身をみていきましょう。文明に関する展示作品も併せて紹介します。


●オルメカ文明|B.C.15~B.C.4世紀頃

メソアメリカ諸文明のルーツの一つになったといわれる、この地域では最古の文明。初期の大遺跡であるサン・ロレンソは当時のアメリカ大陸のなかでも群を抜く規模で、都市を形成するための階層化社会がこの頃にはすでに存在していたとみられています。最大3m以上もあるという人間の顔だけを表した巨石人頭像のほか、重要視されていたジャガーと人間を合わせたような半人半獣像もこの文明を代表する石製彫刻。

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オルメカ様式の石偶。人とジャガーの特徴を併せもつ幼児を表しているとされる。


●マヤ文明|B.C.12頃~16世紀

メソアメリカのなかでもっとも知られた文明といっても過言ではないでしょう。メキシコを代表する古代遺跡チチェン・イツァやパレンケを生み出したのもこの文明。紀元前1200年頃から16世紀までの長きにわたって存続した文明で、支配者層は暦、算術、天文学などの高度な知識を身につけていたといわれます。また、マヤ文字と呼ばれる複雑な文字を開発し、その組み合わせは数万通りにのぼるとも。

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マヤ文字で書かれた碑文の石彫。トニナの王がポモイという都の戦士を捕えたことがマヤ文字で記され、中央には捕虜となった戦士の姿が刻まれている。


●サポテカ文明|B.C.14~16世紀

メキシコ南部のオアハカに興った文明。紀元前14世紀にはすでに文明が形成されていたとみられ、代表遺跡のモンテ・アルバンは1200年以上も首都として繁栄しました。同時期に勃興したテオティワカンとは同盟関係にあり、テオティワカンの衰退後はミシュテカ王家と関係を深めて羽毛加工や金工芸などの職人技巧を発達させました。今もオアハカには多くのサポテカ人が暮らしています。

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モンテ・アルバンでつくられ、テオティワカンにもち込まれたと考えられる人形骨壷。サポテカ人集団のリーダーを神格化した先祖や神を表しているとみられる。


●テオティワカン文明|B.C.1~7世紀

メキシコシティ近郊で栄えた文明。「神々が生まれる場所」を意味する国際都市テオティワカンを築き、太陽のピラミッドや月のピラミッド、羽毛の蛇ピラミッドなどの巨大なモニュメントを残しながらも、そこに暮らしたおもな民族や言語などは未解明という謎多き存在。近年はピラミッド地下で発見された古代トンネルの発掘調査が進み、生贄の埋葬体や仮面、翡翠製品などの奉納品が多数出土しています。

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古代トンネルの最奥部から発見された立像。こちらは男性像で、女性像と思われる像も見つかっている。

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農耕の神であり嵐の神でもある、トラロックを表した水差し土器。

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古代トンネル最奥部から見つかった吹奏楽器。戦士または狩人のような人物が描かれている。


●トルテカ文明|8~12世紀

テオティワカンが滅亡したあと、北方から中央高原にさまざまな人びとが進出しました。その異民族が築いた文明の一つがトルテカ文明です。最盛期には5〜6万人が暮らしたといわれるトゥーラ遺跡には、トルテカ様式と呼ばれる芸術性の高い彫刻が多く残っています。また、心臓の台座でもあるチャクモール像や、王座を支えていたアトランティス像など、マヤ文明のものと美術様式が似通った彫像が遺跡から出土しており、2つの都市で影響を与え合っていたと考えられています。

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ユカタン半島にあるマヤ遺跡、チチェン・イツァから出土したアトランティス像。

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トルテカ文明のトゥーラから出土したアトランティス像。チチェン・イツァのアトランティス像と姿は酷似しているが、こちらは戦士を表していると思われる。


●アステカ文明|14~16世紀

長きにわたり発展してきた、メソアメリカ文明の集大成ともいえる文明。北方から遅れてやってきたナワ人が中央高原に着いたときには、すでに湖の周りに大小の都市が勃興していたため、人びとはチチカカ湖の上に都市を築いたのでした。それが、のちにやってくるスペイン人が驚嘆した水上都市テノチティトランです。場所はメキシコシティに位置していて、人びとは水上に家や畑をつくり、水道橋を建ててインフラを整備し、神殿で生贄の祭祀や球技を多数行いました。最盛期には20万人が暮らしたといわれ、スペイン人はその都市計画の完成度の高さや、市場に集まる人びとの活気や取引される品数の多さに圧倒されたといいます。

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人の心臓形ペンダント。動脈、静脈、心外膜を切った部分がみて取れる。アステカでは生贄の心臓を生きたまま取り出す儀式が大神殿で日常的に行われていた。



東京国立博物館で開催中の古代メキシコ展は、2023年9月3日(日)まで!その後も福岡、大阪と巡回予定です。

『TRANSIT60号 メキシコ マジカルな旅をしよう!』と併せてお楽しみください。

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