イサーンの山奥にある瞑想所〈ウィリヤダンマ・アシュラム〉。タイ全土やときに国外からも人びとが瞑想実践に訪れる森の中の修行場です。ここでリーダーを務めるのが、国内外にもその名が知られるスティサート・パンヤーパティポー師。チャルーン・サティと呼ばれる手動瞑想を実践し、その教えはタイ国内外でも広く知られています。
大学卒業後22歳で出家したスティサート師は、瞑想修行の寺として名高いスカトー寺の僧侶となり、22年間一度も還俗せずに仏の道を歩んでいます。
そんなスティサート師に、アシュラムのことや仏教のこと、ご自身のことなど気になることを聞いてきました。
photography & text=KEIKO SATO(TRANSIT)
アシュラムについて
―――ここにはどんな方が訪れるのでしょうか。
心の拠り所を求める人や、苦しみを抱えてくる人もいますが、多くの場合は特別苦しみがあるわけではなく、よりよく幸せに生きるために瞑想を学びに来る人がほとんどです。
―――よりよい幸せというのは、具体的にどんな状態のことを指すのでしょう。
一つは負担のない生き方です。重荷を背負わないこと、自然とともに生きるということでもありますね。多くの世俗的な社会では、地位が上がったり、モノで満たされたり、お金を多く得るといったことに価値が置かれがちですが、仏教のなかではそういったものに依存せず、距離を置きながら内なる平安を保つ生き方を目指しています。
例えば、ある程度の地位についていたり、十分なお金を稼いでいたりしても、幸せを感じられない人もいます。それだけではない価値に気づいていこうとするのが、この瞑想実践です。
―――瞑想実践では具体的にどのようなことを教えていますか?
ここで実践している瞑想は、日常生活のなかでも生かせる瞑想です。瞑想は、自分自身に気づく練習です。日常の中でタンマ(法)による瞑想を実践することによって、自分自身の心に気づき、日々の苦しみを減らす瞑想を教えています。
ご自身について
―――僧侶を目指したきっかけを教えてください。
もともと大学で社会福祉を学んでいて、ほかの人のためになにかをしたいという思いがずっとありました。そのためにも一度出家をし、自分自身の心を整えようと思ったのです。当時、スカトー寺には2人の重要な「開発僧」がいました。
前住職のカムキエン・スワンノー師と、現住職のパイサーン・ウィサーロ師です。農村開発や地域開発など、社会へアプローチしながら修行をつづけている2人の存在を知っていたので、最初からスカトー寺へ向かうつもりでした。まさかこんなに長く僧侶をやるとは思いもしませんでしたが(笑)
スカトー寺にて。今では日本人僧侶のプラユキ・ナラテボー氏とともにこの寺の副住職も務めている。
―――還俗しようと思ったことは?
何度もありますよ。しかし学べば学ぶほと、もっと学びたいという思いが強くなっていきました。そして自分自身の拠り所がしっかりするほど、ほかの人によりよいケアができることがやればやるほどわかってきた。自分の中に法の学びがしっかりあれば、それが社会の役に立つということを実感したのです。
―――人の役に立てていると実感する瞬間は?
お坊さんの役割は瞑想を教えるだけではなく、カウンセリングのようなものもあります。タイでは悩みを抱えたとき、心療内科ではなくお坊さんのところに行くことも当たり前のようにあります。そして瞑想修行を積むと、自分で自分をカウンセリングできるようになるのです。
悩みを聞き、瞑想実践を教えること。この2つで役に立てていると思います。
欲について
―――仏教でもっとも扱われやすいテーマの一つに「欲」というものがあると思いますが、欲との向き合い方を教えてください。
「欲」とは、今あるものに満足することを知らない状態のことです。
欲の一つに「我」というものがあります。我が生じているときは、人からこんな風に思われたい、こんな風に扱われたいという欲が生じているときです。しかし、世界は自分の思い通りにならない。人の気持ちはコントロールできないのです。
人は一定の肩書や地位を得るほどにこの我というものが生じやすくなります。良い大学に合格したり、仕事で出世したりしたときなどもそうですね。私も、普段はこうして教えを説き、「先生」と呼ばれる立場にありますが、「お兄ちゃん」と呼ばれてイラッとしたことがあります(笑)
しかし、この気持ちが生じたことで、自分のなかに「こう思われたい」「こう思われて当然」という欲が生じていることに気づきました。その欲に気づき、離れることが大事なのです。
「こう思われたい」という欲が大きければ大きいほど、自分の外の世界との差異に苦しみます。苦しみから離れるためには、自分の外の世界は思い通りにならないことを理解し、自分のなかの「我」と向き合うことが大事です。
―――「こう思われたい」という欲求に対し、「こうなりたい」と努力を重ねる「意欲」という欲があると思います。「意欲」と「欲」の違いを教えてください。
意欲とはパーリ語で「チャンタ」といい、自分の内側から生じる欲求を指します。対して「欲」とは、欲求を外側に期待している状態。外の刺激に引っ張られて、こうなりたいと思う欲求です。だからこそ思い通りにならないとき、フラストレーションはたまる一方です。
意欲とは、今あるものに満足していくという心のことです。例えば何かを人からいただいたとき、自分の満足する状態を知っていれば、残りを人に分け与えることができる。欲があると、それを自分のものにしようとする。その違いです。
―――なるほど、よくわかりました。「ただ足るを知る」ということですね。では最後にもう一つ。「孤独」を感じることはありますか?
ありますよ。僧侶といえども人間ですから、みんなさまざまな感情をもっています。
―――では、孤独をどのように解決しているのでしょうか?
解決しようとはしません。ただ孤独とともにいればいいだけです。
スティサート師は毎日朝・夕にも30分ほどの説法を行なっており、今回ご紹介したような「欲」や、避けて通れない「死」の話など、すべてを記録したいほど、毎日珠玉の言葉を紡いでいます。たった3日間だけでも、その言葉から数え切れないほどの気づきをいただきました。
上座部仏教の戒律は厳しく、僧侶は結婚できないどころか異性に触れることも許されず、もちろん家族をもつこともありません。しかしスティサート師をはじめアシュラムで暮らす人びとは、私が想像する「孤独」とは縁遠く、精神的にとても充足しているように見えました。仏教の教えや瞑想修行がそうさせるのでしょうか。
ここには属性も肩書きもなく、ただ生きた仏教の姿がありました。そんな一種のユートピアのような世界を、ぜひ旅してみてください。
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