8月1日は、アンネ・フランクが最後の日記を書いた日です。
1929年6月12日、銀行家の父オットーと母エーディトの間に、2人姉妹の妹としてドイツで生まれたユダヤ系ドイツ人のアンネ。4歳までフランクフルトで生活をしますが、1933年から始まったヒトラー率いるナチス政権によりユダヤ人への迫害が激化したことで、一家は国を逃れ、オランダのアムステルダムに移住します。
メルウェーデ広場 ©︎Franklin Heijnen
1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まり、中立を宣言していたオランダにもドイツ軍が侵攻。オランダは占領されユダヤ人は激しく迫害されました。
そんな危機的状況の中、1942年13歳の誕生日に、父からサイン帳をプレゼントされます。日記の体裁は、心の支えとなる架空の人物「キティー」に送る手紙という形をとりアンネの日記は誕生しました。
©︎Rodrigo Galindez
その後はアムステルダムにある、父の会社の建物裏につながっている隠れ家で生活をするも、1944年6月にナチス・ドイツのゲシュタポによってアンネ一家は捕らえられてしまいます。そして強制収容所へと送られ、アンネはわずか15歳という若さでこの世を去りました。
©︎Massimo Catarinella
迫害から逃れるために住んでいたこの隠れ家は、現在も博物館として存在し、日記を綴った屋根裏部屋は戦争の悲惨さをダイレクトに教えてくれます。
年間約3万人もの日本人が訪れるアムステルダム。ユダヤ人のみならず、人種に関して改めて学びに訪れてみてはいかがでしょう。