▶︎Interview 東盛あいか監督
映画『ばちらぬん』ができるまで
日常と幻想の世界線が映す与那国

Story - 2022.05.13
1_20220512_yonaguni-min.JPG 西の果ての島、与那国を舞台にした映画『ばちらぬん』が、現在、全国各地で公開中だ。

真っ青な海に浮かぶ与那国島。三線と民謡と蝉の声。草を食む2頭の与那国馬。軒先に揺れるピンクのハイビスカス。海沿いのアスファルトの路を駆け抜けていく一人の制服の女の子。突然、場面は切り替わって、自転車を漕ぐ男の子の背中が現れるーーー。そんな光景から映画がはじまる。

映画『ばちらぬん』は、白昼夢のようなフィクションと、与那国の日常風景を映したドキュメンタリーが折り重なって、物語が進んでいく。

2_20220512_yonaguni.jpg 3_20220512_yonaguni.jpg フィクションパートでは、クバ笠の青年、バックパックの男の子、藍色のワンピースの女の子、骨を持った女性、そして冒頭に出てきた制服の少女の5人が、それぞれ別々の次元で存在していて、時々、出会い、離れていく。彼らはスクリーンに現れては消え、言葉少なに場面がつながる。時折、彼らが口にする言葉は与那国語で、日本の標準語とも沖縄本島の言葉とも違い、字幕なしで言葉の意味が追うのが難しい。

4_20220512_yonaguni-min.jpg 5_20220512_yonaguni.jpg ドキュメンタリーパートでは、牛舎で働く与那国島の男性、魚を釣り上げる漁師、島の伝統芸能の踊りを練習する中学生たち、お盆のエイサーに沸く島の人びとといった日常が映し出され、島の人の声も収められていく。

2つの世界線のなかで物語が交差していき、観ているものは、場所、時間、夢とも現実ともわからないところを彷徨っていくことになる。

この映画の監督と制服の少女役をつとめたのが、与那国島出身の東盛あいか監督。東盛監督に映画について、与那国島について話を訊いた。

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東盛あいか監督。映画制作時のノートを広げながらインタビュー。


text=MAKI TSUGA(TRANSIT)






―――『ばちらぬん』ではドキュメンタリーとフィクションが折り重なるようにできていますが、この映画のストーリーはいったいどのようにつくられていったのですか?

東盛あいか監督(以下、東盛):私は京都の芸術大学に通っていたんですが、4回生になったときに卒業制作で与那国の映画を撮ろうという企画がまとまっていたんです。映画制作の仲間みんなで与那国へ行って、オールロケのフィクション長編を撮る想定でした。それが2020年春のこと。ちょうどそのタイミングでコロナが来てしまって。

私は、ひとり先に与那国に帰っていたんですけど、ほかの撮影チームは与那国に来れなくなってしまった。映画が撮れないし、私は京都にも帰れないし、コロナに足止めをくらってしまった状況でした。

最初に考えていた映画のストーリーをなかったことにするしかなくて、新しい話をつくろうということになったけど、すぐには気持ちの切り替えができなくて、とても落ち込みましたね。「もう解散しよう、卒制諦めよう」というところまできてました。

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2020年4月16日の緊急事態宣言が出されたときのノート。

東盛:ひとまず、もってきていたカメラで島の人に話を聞きにいこうと思って、カメラを回しはじめたんです。じっとしていても映画ははじまらないし、ひとまず動こうと思って。

そうやって島を歩きはじめると、15歳まで住んでいた場所なのに知らない話が聞けたり、行ったことない場所に連れていってもらえて、撮った映像を京都にいる仲間たちに送って、与那国のイメージを膨らませてもらったんです。映画制作は止まっていたけど、その期間が与那国を吸収する時間になりました。

私も京都の仲間と離れることで、自分が彼らとのつながりを強く求めていることに気づきはじめて。与那国と京都で距離が遠かったとしても、映像や映画のなかであれば場所や時間関係なしに繋がれるんじゃないか、って。それで与那国と京都で撮ってみよう、ドキュメンタリーとフィクションで撮ってみようという、『ばちらぬん』の構想が生まれたんです。

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東盛:ドキュメンタリーに加えてフィクションという別の世界線を織り交ぜることで、現実世界だけでないもの、観る人それぞれのストーリーを紡いでほしいというのがあります。与那国を題材にした映画ではあるけれど、それが観た人それぞれの故郷だったり、大切な人だったり、過去だったり、そうした普遍性につながるんじゃないかと。

この映画をつくっているとき、制作メンバーと毎週のミーティングで、最近見た夢の話をしていて。「何見た?」って聞いて、ノートにメモをとって、映画の場面に組み込んでいったり。夢からインスピレーションを得てる部分もありますね。登場人物たちも人間離れしてるんですよ。地に足がついてないような。そうすることで、彼らは人間であると見てもいいし、動物と見てもいいし、あるいは与那国の神様とか精霊だったりとか、自由な概念に当てはめてもらってかまわないと思っていて。彼らがそれぞれどこから来てどこに行くのかはわからないけど、何かを探し求めて、ふらふらとあの世界線で存在している。目の前のことじゃない、夢っていう潜在意識とか五感とかっていうのを取り入れることで、観た人の「目の前のことじゃない」部分に刺激を与えられるんじゃないかと。

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仲間たちの夢の話のメモ書き。



―――映画をつくるうえでそんな経緯があったのですね。当初、構想されていた話はどんなものだったんでしょうか?

東盛:劇映画ですね。私が主演というのも考えてなくて、脇役に出るくらいのつもりでした。その話が世に出ることはもうないんですけど(笑)。

でもコロナの後も前も、映画で描きたかったものは変わっていないです。私が与那国で映画をつくりたいと思ったきっかけは、時間の経過のなかで変わっていくものがあるのをひりひりと感じたから。島の言葉が消えつつあることや、景色が変わってく現状だったり。自衛隊の基地も私が中学生のときには島になくて。映画にも出てくる私のおじいちゃんは、私が島を離れる前までは足取りもしっかりしていたんですが、いまでは杖をついていて、帰るたびに老いを感じたりだとか。

とどめることができない、なにかが流れていってしまうような寂しさ、焦燥感みたいなものをずっと感じていて。いまの与那国を、島出身である私が撮ることに意味があるんじゃないか、今とどめないといけないものがあるんじゃないか、と。映画という術を使って、それを私なりに守りたい、残したい、というところから映画づくりがはじまったので、表現方法が変わったとしても、根っこのところは変わっていないですね。

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東盛あいか監督が演じる制服の少女が、島のおばぁから昔やっていた雨乞いの祭りの話を聞く場面。



―――そうやって自然発生的に生まれていったのですね。台詞を与那国語にしようというのは当初から考えていたんですか?

東盛:そうですね、与那国語は取り入れたいと思っていました。与那国語は私の祖父母の世代が日常的に話す言語で、私の親世代は聞き取ることができるけれど返事は日本語になるような状況。私が子どものときは、おじいちゃんの話す聞き慣れた単語はわかるくらい。文章としての与那国語は理解できていなかったですね。

島の中学校には郷土学習の授業があって、与那国の踊り、民謡、三線、織物、言葉が選択式で勉強できて、島の人が教えにきてくれるんです。踊りや民謡、三線といった伝統芸能はお祭りに向けて練習して発表する機会があるんですが、言語はそういう場がないので、ずっと学びつづけることが難しいですね。島を出るとどんどん言葉との距離が離れてしまうんですよね。

私の家では日常的に与那国語と日本語が家の中で飛び交っていたけど、特別に与那国語を勉強しようとは思わなかった。それが島を出て大人になって、映画の世界に入ってものづくりをする立場になって自分自身を振り返ってみたら、与那国は自分にとって欠かせない存在だな、ってそのときわかりました。

与那国を知ることで自分のことがわかってくるんじゃないかと思ってから、与那国に関心が向きだして。島の言葉とか歴史とかそういうものを能動的に学びはじめたんです。そのなかでも与那国語は、島にいないと学ぶのが難しいですね。『与那国語辞典』というのがあって、それを読めば直訳の単語を知ることはできるんですけど、発音は実際に聞いてみないとわからないし、文字だけではその言葉を自分のなかに取り込むのが難しいですね。だから島に帰ってきたときには、与那国語を母語にしている世代に話を聞いたり、京都にいるときは電話で聞いたりしていました。

映画の台詞も、自分で辞典を引きながら日本語から与那国語に訳して、それを与那国語話者に聞いてもらって自然な言い方になるように添削してもらったり。やっぱり与那国独特の表現があったり、逆に「与那国の言葉にはこれはないから、無理よ〜」と言われることもあったんですが、いやそれをどうにか島の言葉にしたいから教えてちょうだい、って食い下がったりして。言葉を学ぶ難しさとおもしろさでもありますね。

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―――映画監督になろうと思ったきっかけはなんでしょうか?

東盛:与那国島には映画館もレンタルビデオショップもないし、私の家はネット環境も整ってなかったので、映画に触れる機会がなくて、私自身そんなに興味もないまま、島で15歳まで育ちました。陸上をやっていて、走ってばっかりの活発な子でしたね。

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地元の与那国で『ばちらぬん』を凱旋上映。町役場の職員さんが移動式スクリーンを設置して、学校やデイサービスの施設で上映した。

東盛:与那国には高校がないので、子どもたちは進学や就職のために一度島を離れるかどうか考えるタイミングがあるんです。私の場合は、スポーツ推薦で石垣島の普通科の高校に進学を決めました。でも高校2年生のときに、陸上の記録が伸び悩んだり、学校生活がうまくいかなくなったりして、不登校になってしまったんです。

そこからですね、映画を観るようになったのは。当時、石垣にも映画館はなかったんですが、TSUTAYAとかGEOはあったので、DVDを借りて観てました。映画を観ているときは自分のことを考えずに済む。映画が「逃げ場所」だったのが、そのうちに「いきたい場所」に変わっていって。

そこから映画をつくるにはどうしたらいいんだろうって。芸術大学に行けば映画のことが学べるかもしれない。そのためには高校を卒業しないといけない。でも元の高校には戻りたくない。石垣島は狭いので外を歩いていると絶対知り合いに会うから、もう石垣を出ようと。父が単身赴任で愛知にいたので、愛知でアルバイトをしながら高卒認定をとって、京都芸術大学に入ったんです。

私が入学したときには京都造形芸術大学という名前で、その映画学科俳優コースで勉強していました。最初はカメラの前に立つ側になりたいと思っていて、俳優を主軸に考えていました。ただ大学一回生のときから、いつか与那国で映画を撮りたいという想いはありました。それで演技以外の技術面の授業を受けたり、自主制作の映画をつくっているうちに現実味が増してきて。三回生になる頃には、卒業制作を与那国で撮ることに向けて動いていて、四回生になったときに企画まで決まっていました。与那国を撮るならと、この『ばちらぬん』で初めて監督・脚本をやったんです。私にとって監督というのは島を留める術なので、未だに監督と呼ばれるのには慣れていません。

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『ばちらぬん』制作時、制服の少女役でカメラに映る東盛監督。



―――映画タイトルの『ばちらぬん』は与那国語で"忘れない"という意味ですが、そこにどんな想いが込められているのでしょうか?

東盛:与那国語で「忘れないで」と表そうとすると「ばちんなよ」になりますが、「ばちらぬん」というのは「私は忘れない」という意味になります。一人称で刻みつけるような、自分自身に言い聞かせるようなものにしたかった。映画は自由なもので、受け取り方も自由だと思うんですね。「私は忘れない」と刻んだものを、映画を観た人がどう感じるかをみてみたかった。

映画のなかで、バックパックの男の子が「俺は人間に生まれて何事もわからない。ここに生きていること、あなたと話していること、未来の俺は覚えているかな」と言って、藍色のワンピースの女の子が「どうだろう、私たち案外忘れやすいもんね。できるだけたくさん両手に抱えていたくても、時間が経つにつれて残るものは少しだけだよ」と応える場面があるんです。残したい、とどめたい、という人間の欲みたいなものと、実際には少ししか止めることしかできないということ。そういう儚さも映しています。

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藍色のワンピースの女の子の手には、琉球の女性が入れていた刺青・ハジチが描かれている。

東盛:たとえば、忘れたくないものの一つとして、島の言葉とか文化というのがありますが、それを学ぶのも受け継ぐのも自由だと思うし。それを島出身だからやらなきゃいけないというものでもない。出身者じゃない人がやるのも自由だと思う。実際、島外の人で、与那国島の言葉や、植物や、地形にものすごく詳しい人もいるんですよね。

私は『ばちらぬん』が撮り終わった後も、また与那国や沖縄の映画も撮りたいし、与那国語を学びつづけたいし、これからもフィールドワークを重ねていきたいですね。隣の台湾についても興味があって、そこから見た与那国はまた違う面が浮かび上がってくるんだろうなと。あの小さな島をきっかけに、また別の場所に広がっていけたらと思っています。

21_20220512_yonaguni.jpg 映画『ばちらぬん』は全国で順次公開中。詳しくは以下の上映会HP「国境にいきる」からご確認ください。




■監督プロフィール

20220428_yonaeiga_1.jpg 東盛あいか(ひがしもり・あいか)●京都芸術大学映画学科・俳優コース在籍中に、学生映画に多数出演しながら映画について多方面から学ぶ。卒業制作として『ばちらぬん』を製作、初監督をつとめる。与那国語を勉強しながら発信しており、沖縄タイムス等でコラムを連載。俳優としても活動中。
Twitter:@aika_higamo
Instagram:@toremoro514

■映画情報

『ばちらぬん』
与那国生まれの東盛あいかが、監督、主演をつとめた作品。与那国島の日常や祭事を取材したドキュメンタリーと、花、果実、骨、儀式などをモチーフに幻想的に描かれる世界が交差しながら物語が進む。現実とフィクションはやがて溶け合い、ジャンルの枠を超えた映像によって島に紡がれてきた歴史、文化、人々の記憶がスクリーンに映し出される。「ばちらぬん」は与那国島の言葉で「忘れない」という意味をもつ。2021年 ぴあフィルムフェスティバル グランプリ受賞。

■上映情報

沖縄本土復帰50周年記念上映
「国境の島にいきる」

『ばちらぬん』『ヨナグニ〜旅立ちの日〜』
主催:ムーリンプロダクション(木林電影)

・東京
新宿K's Cinema 5/7(土)〜
UPLINK 吉祥寺 5/7(土)〜
・千葉
キネマ旬報シアター 5/7(土)〜
・京都
UPLINK 京都 5/13(金)〜
・大阪
第七藝術劇場  5/14(土)〜
・沖縄
桜坂劇場 4/30(土)〜
ミュージックタウン音市場 5月下旬〜
よしもと南の島パニパニシネマ 5月下旬〜
・長野
長野相生座・ロキシー 7/1(金)〜7/14(木)
・名古屋
名古屋シネマテーク  近日公開予定


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