#Creator's Trip
移民とバカンス/ vol.1 その島を目指すものたち
イタリア最南端・ランペドゥーサ島by 菱田雄介

写真家、映像ディレクターとして、歴史とその傍らにある生活をテーマに世界中を撮影している菱田雄介さん。
2023年9月に菱田さんはイタリアのランペドゥーサ島へ向かった。
ヨーロッパ大陸を目指す難民の玄関口として報道されることが多いその島で彼が見てきたものとは。

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>>「移民とバカンス/vol.2 パラレルな世界 イタリア最南端・ランペドゥーサ島 by 菱田雄介」

text & photography =YUSUKE HISHIDA



「え、ランペドゥーサに行くんですか?」


夕方6時半にローマ・フィウミチーノ空港を飛びたった機体は、派手なシャツをまとった賑やかな旅客で溢れていた。1時間半のフライトは、浮かれた乗客を地中海の小さな島・ランペドゥーサへと運ぶ。イタリア最南端に位置する地中海の小島、ランペドゥーサ。海に浮かんだボートがまるで飛んでいるかのような透明度で有名なこの島の名はしかし近年、主に国際ニュースで聞くことが多くなった。

シチリア島の南西220kmに浮かぶランペドゥーサは、イタリア共和国の最南端に位置しており、チュニジアの海岸からは113kmしか離れていない。2023年現在、連日たくさんのアフリカ系移民が小さな船で漂着し、その数は島の人口を遥かに超えるようになった。

「え、ランペドゥーサに行くんですか?」フィレンツェで学会の基調講演を終えた僕が次の目的地を口にすると、多くの人が驚いた口調でそう尋ねた。講演のテーマは「borderをめぐって」というもので、自分が今まで撮影してきたシリア難民やロヒンギャに関して扱っていたのだから、アフリカ大陸からの移民が押し寄せる島を訪れることは必然なのだが、ニュースやSNSでは連日この島を巡る報道がなされており、危険な場所に行くように思われたのだと思う。

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しかし島に到着してみると、そんな懸念は簡単に消えた。島の中心部を貫く「ローマ通り」は煌びやかなネオンサインで彩られ、レストランと土産物屋で賑わっていた。軽く夕食をすませ、通りを歩くと屋外シアターでは映画を上映している。南の島の賑やかな夜。しかしこの島の暗闇のなかには、保護施設を抜け出した移民たちが、今も息を潜めているはずだ。


メローニ首相が来る!


翌朝、港に向かった。以前は移民たちを乗せた船は島の各所に漂着していたが、現在は沖合で救助され、この埠頭で上陸するようになっているという。観光船がずらりと並ぶエリアを過ぎると漁師たちが網を繕っている漁港に出る。そこからゆるやかな坂を登ると、埠頭につづくゲートがあった。立ち入りは厳しく規制されているが、ふと見上げると埠頭を見渡せるコンクリートの屋根の上を、報道目的と思われるカメラマンが歩いていた。2.5m程度の壁をよじ登ると、確かにそこからはファバロロ埠頭を見渡すことができる。洋の東西を問わず、事件や事故が起きたとき、自然発生的にカメラスポットがうまれるが、ランペドゥーサ島でのそれは、この屋根の上だった。

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ここに立つと美しい海は一変する。移民たちが乗ってきた朽ちかけた木製のボートや鉄製の錆びたボートがひしめき合って放置されているのが見える。トルコからギリシアに渡るシリア難民はゴムボートを使っていたが、アフリカからイタリアを目指す移民たちを斡旋する業者は、いつ沈んでもおかしくないようなボロボロの船を使っているという。こんなボートで100kmもの海を越えられるのか?と思ったが、途中までは密航業者が大きな船で運び、そこからこの船に乗せられるのだという。船は極めて不安定で、今年に入って1000人以上が死亡したとみられているが、正確な数は誰にもわからない。

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望遠レンズを構えた男性が、大声で電話をしていた。

「まもなくメローニ首相とフォン・デア・ライエンEU議長が空港に到着する。その後の動きはわからないが、おそらくここにも来るんじゃないか」

この日は急増する移民問題に揺れるイタリア、メローニ政権にとって重要なターニングポイントだった。移民問題への強行措置を訴えて首相になったメローニ氏だったが、増えつづけるランペドゥーサ島経由の移民への対応が遅れ、国内での不満は高まっていた。そこでEU議長を伴うことで、ヨーロッパ全体の問題としてアピールすることとなったのだ。

コンクリート屋根は報道陣で埋め尽くされた。こんなこともあろうかと思って持ってきた300mmの望遠レンズを取り付けようとして、僕は絶句する。「......間違えて70mmを持ってきてしまった」。地中海の太陽がジリジリと照りつけるなか、ほのかな絶望を感じながら、標準レンズで政治的イベントを撮った。雰囲気に呑まれて報道陣と同じものを撮ろうとしてしまっていたが、僕が撮るべきはニュース映像ではない。そう思い直して、重たいフィルムカメラを構え直した。

居合わせた観光客はメローニ首相が乗った車にスマホを向ける。その向こうには青く透き通った海と、たくさんのビーチパラソルが並んでいる。押し寄せる移民と、南の島のバカンス。関心と無関心が共存している世界がそこにある。

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島の人口を上回る移民たち


翌朝同じ埠頭に行ってみると、200人ほどの黒人たちが上陸してくるところだった。おそらく、夜中に沖合で救助された人びとだろう。汗が染みつき黒ずんだTシャツ姿で、そのほとんどが裸足だった。疲れているように見えるが、ようやく辿り着いた安堵感からかカメラにポーズを取る者もいる。

怪我を負った数人が、簡易な治療を受けていた。医務室から出てくる彼らは、グルグルに巻かれた包帯をしげしげと眺めている。国を出てサハラ砂漠を越え、密航業者にその身を委ねることになったその旅路で、自分のために包帯を巻いてくれる経験など無かったに違いない。彼らはいま初めて、「人権」というものを手にしたのかもしれない。

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2023年に入り、9月時点まででイタリアに上陸した移民は実に12万7000人。とくに9月半ばには5日間で1万1500人がランペドゥーサ島に辿り着いている。島の人口を遥かに超える人数に対し、秩序をもって管理するのは容易ではない。

島の中心部から車で10分ほど、オリーブの木が生い茂る乾いた道を登っていくと、「コントラダ・インブリアコーラのホットスポット」と呼ばれる移民受け入れ施設がある。海路で辿り着いた移民を登録し、受け入れるための施設だが、その定員は400人。しかし、一時は7000人もの人びとが押し込まれていたのだという。緊急対策として移民たちは順次シチリア島などに運ばれているが、この日も鉄柵で囲われた施設内は1000人を超える移民たちで溢れていた。

施設の周りには報道記者がいて、たまにリポートを撮ったりするほかはスマホを見ながらボーッと過ごしている。おそらく「暴動狙い」で待機しているのだと思う。僕はコーディネーターを通じて施設内の撮影許可を申請したが、申請はすべて却下されているとのことだった。確かにイタリアのニュース番組も、施設の外側から撮影していた。

それでも、鉄格子には1.5cmほどの隙間がある。正面は監視が厳しいが、丘に登って回り込めば移民たちに接触できるかもしれない。そう思って施設の裏手に進んでいくと、丘の上の監視兵と目があった。鉄格子沿いに移民たちに話しかける記者もいたが、すぐに引き離されていた。

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しかしその中間、丘の上からも見えず、正面ゲートからも見えないわずかな死角があった。幸い、その場所で鉄格子を背にして休んでいる移民たちもいる。

「こんにちは、日本から来たものです。あなたはどこから来ましたか?」簡単な英語だが、「Vous parler français?」との返事。そう、彼らの多くはフランス語圏からやってきているのだ。大昔に習ったフランス語を思い出して「Nationalité?」と聞いても困った顔をしている。そうこうしているうちに「英語が話せるやつがいたな!」ということになり、一人の青年が連れられてきた。

彼らはギニアから40日ほどの旅をへて、昨日到着したとのこと。地元には仕事がないため、ヨーロッパのどこかで職を得て、国に仕送りをしたいのだと言っていた。そこまで聞いたところで監視兵に見つかって引き離される。

別のタイミングで話を聞けたのはシリア南部の激戦地ダラアからやってきたというグループだった。僕はかつて、シリア難民がやってくるギリシアのレスボス島を取材したことがある。シリア北部からトルコを抜けてヨーロッパに至る、いわゆる「バルカンルート」の出発点で、今のランペドゥーサ島のように大勢の難民がボートで押し寄せていた。その後、欧州各地がこのルートを閉鎖したこともあり、今はシリア人もアフリカまで遠回りをして、この「地中海ルート」を選ばざるを得なくなったようである。

常に定員オーバーの収容施設にベッドはなく、彼らは地面にダンボールを敷いて寝ていた。劣悪な環境といえるが、しかし木漏れ日のなかで思い思いに休息をとる彼らの姿からは、サハラ砂漠で餓死することも、地中海で溺死することもなくヨーロッパに辿り着くことのできた安堵感が感じられた。



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PROFILE
菱田雄介(ひしだ・ゆうすけ)●写真家・映像ディレクター。歴史が動く場所や境界をテーマにドキュメンタリー写真を撮りつづける。近著に、東日本大震災、原発事故後の東北に通いつづけた10年の記録をまとめた『2011年123月 3.11瓦礫の中の闘い』(彩流社)、ほか韓国と北朝鮮を対比させて構成した写真集『border | korea』(リブロアルテ)などがある。
HP:https://www.yusukehishida.com/

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