▶Interview デヴィ・スカルノ
デヴィ夫人が語る
インドネシアの興隆と混沌

大統領夫人という立場から、激動の時代のインドネシアを間近に見てきたデヴィ夫人。
戦争の経験、スカルノ大統領との出会い、ジャカルタでの華やかな暮らしから、クーデターによる混沌へ。
波乱に満ちた人生を振り返りながら、インドネシアの過去、現在、未来への思いを聞いた。

*本記事は、『TRANSIT 63号 インドネシア、マレーシア、シンガポール、熱狂アジアの秘境へ 』の記事の一部を抜粋しています。

photography= KATSUMI OMORI
text= TAKUMI OKAZAKI




第三勢力をリードする大統領の夫人として


─ 初めて見たジャカルタの景色は、どのような印象でしたか?

デヴィ夫人:かわいらしい街だと思いました。オレンジ色の屋根に、真っ白な壁。オランダ統治時代の名残があって、緑も美しく豊かでした。アムステルダムを模してつくられた市街は、道路も広く、いたるところに運河が造られ、ヨーロッパ風のオフィスビルが立ち並んでいました。当時の日本人にとってインドネシアはまだまだ遠い異国で、ヤシの陰から槍を持った先住民が出てくるようなイメージしかもっていなかったのですが、着いてみると、東京よりずっとロマンティックなところだと思いました。

─ その後、スカルノ大統領にプロポーズされ、インドネシアに留まることになります。勇気のいる決断だと思いますが、迷いはなかったのでしょうか?

デヴィ夫人:もちろん迷いはありました。私が留まることにしたら、母と弟を日本に残すことになる。ただ、友人のひとりが、家族の面倒を見てくれると申し出てくださったので、留まることにしました。そして何より、大統領のプロポーズの言葉に感動しました。「私のインスピレーションとなり、力の源泉となって、私の人生の喜びとなってください」と。このような美しい言葉は100年生きても聞けないのではないか。選ばれたからには、それに応えるべきだと感じました。天啓だと思いました。

─ 第二次世界大戦中、日本はインドネシアを占領していた時期もありました。国民に反日感情はなかったのでしょうか?

デヴィ夫人:いえ、親日的な人が多かったです。スカルノは大統領になる前、独立運動を指導して、オランダによって13年間投獄されました。そのとき彼を解放したのが日本の陸軍でした。独立戦争のときも、日本の残留兵が一緒に戦ったんです。大統領自身、日本の文化と歴史をリスペクトしていて、聖徳太子から西郷隆盛にいたるまで、誰が何年にどんな法令を出してということまで正確に覚えてらっしゃいました。

─ スカルノ大統領とデヴィ夫人は、政治の話もよくされていたのでしょうか?

デヴィ夫人:どこに港湾を造って、どこに工場を造ろうという話まで、国づくりに関することは何でも話しました。大統領がもっとも重要視していたのは、第三勢力の形成でした。アメリカとロシアが世界を二分していく流れを変えるため、アジアやアフリカ、諸国に呼びかけ、「バンドン会議」を開催します。新興独立国を団結させ、公平な世界を実現しようとしました。「日本には桜という花があり、インドネシアにはメラティという花がある。花を愛でる気持ちはみんな同じで、私たちは一つになるべきだ」とおっしゃっていたのを覚えています。

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今年84歳になったデヴィ夫人。そのバイタリティは今なお衰えることがない。


民主主義を守るために闘う


─ 2024年、インドネシアは大統領選を迎え、国としてまた新しい局面に入ろうとしています。夫人はインドネシアの未来をどのように見てらっしゃいますか?

デヴィ夫人:すでにインドネシアはアジアのリーダーになりつつあります。世界で4番目の人口を誇り、年々、存在感を増しています。資源も大変豊富な国ですから、未来は明るいのではないでしょうか。

─ 夫人は2023年、戦禍にあるウクライナを訪れたことでも話題になりました。84歳になられた現在も平和のために熱心に活動されるのは、どういったお気持ちからでしょうか。

デヴィ夫人:闘う気持ちですよ。強国が弱小国を侵略し、支配することを許してしまったら、民主主義の墓場になってしまう。だからウクライナの人たちを励まして、少しでも力になりたかったんです。人間が地球に存在する以上、戦争が完全になくなることはないと思います。だからせめて、世界の秩序だけは守ってほしいと思います。

─ 夜空を見上げた少女時代から現在にいたるまで、新しいことに挑戦する大胆さとバイタリティを貫いてらっしゃることに感銘を受けます。

デヴィ夫人:私は人の3倍勉強し、3倍働き、3分の1の睡眠で努力してきたと自負しています。「世界の果てまでイッテQ!」でも、最初は「イルカの上に乗ってサーフィンしてください」なんて言われて、そんな無茶なことできるもんかと思いました。でも、インストラクターの方が私より50歳くらい若い女性で、「彼女も人間、私も人間。彼女にできるなら私にできないはずがない」と思ったんです。3日間練習して、ようやくできるようになりました。そのときの達成感が大きな喜びで、これからも挑戦をつづけようと思いました。挑む気持ちを失くしたときが、自分が年老いたときです。

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ウクライナ戦争に怒りを覚え、現地を訪れることにしたデヴィ夫人。現在は震災支援のため能登半島に向かう準備をしているという。

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TRANSIT本誌では、デヴィ夫人の幼少期の話や、スカルノ大統領が失脚する原因となった9.30事件についてもお話しいただいています。ぜひそちらもご覧ください。
そのほかにも、インドネシア、マレーシア、シンガポールの民族や宗教、文化をたっぷり紹介しています。3国の溢れるエネルギーに圧倒されるはず。デヴィ夫人の衰えることのないバイタリティの源にぜひ迫ってみてください。

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