東洋のガラパゴス、西表島。
石垣島からフェリーに揺られること約40分。エメラルドブルーの海の先に重厚な雲をまとった緑のカタマリが見えてきた。西表島だ。船を降りると湿度の高い空気に包まれる。東京から南西に約2,000㎞。沖縄県で2番目の面積をもち、島のほとんどが原生的な亜熱帯林に覆われた西表島は、イリオモテヤマネコをはじめとする稀少な生態系を有することから東洋のガラパゴスとも呼ばれる。
西表島の自然を体感するべくトレッキングへ。ガイドの堀之内辰朗さんに連れられ、鬱蒼としたジャングルを歩いていくと、そこかしこに生き物の気配を感じる。「ひょっとしたらヤマネコに出会えるかも」。そんな期待を抱きながら森の奥深くへと進んでいくと、目の前に立ちはだかるように大きな滝が現れた。豊富な島の雨を集めた流れはとめどがなく、飛沫をまとった岩壁にはさまざまな植物が着生し、シダが光を求めて葉を伸ばしている。「ゲータの滝です。昨日まで大雨だったので、水量が多くて迫力がありますね」と堀之内さん。深く濃い緑色のジャングルの中に突如姿を見せた滝。時間を忘れ、自然がつくりだした造形美に見入ってしまう。
ジャングルトレッキングをへて辿り着いた西表島・ゲータの滝。流れ落ちる水流を間近で体感できる。
特別天然記念物に指定されているカンムリワシの幼鳥。県道沿いの樹木や電柱に留まっている姿を見ることができる。
巨大なヒカゲヘゴの葉が織りなす模様。いくつもの葉が集まってできていることがよくわかる。
羽音に驚いて見上げると、ヤエヤマオオコオモリがイヌビワの果実を食みながらこちらを伺い、さらに上空ではカンムリワシが上昇気流を捉えて旋回している。ここは生き物たちの楽園なのだ。西表島では、世界自然遺産に登録される前から、ヤマネコの自動車事故防止活動や外来種の侵入対策といった保護活動が行われている。自然は自然のままに。隔絶された島だからこその繊細なバランスのうえに成り立つ、奇跡の生態系に想いを馳せるのだった。
小さな恐竜のようなキノボリトカゲ。琉球諸島や奄美大島に分布する日本の固有種。
パイナップルのような匂いを放つアダンの果実。葉には鋭い棘があり外敵から身を守っている。
琉球石灰岩でできた土地は雨による侵食を受けやすく、各地に鍾乳洞が形成されている。トレッキングツアーに参加すれば内部を探検することができる。
自然に根ざした
西表島の暮らし。
島の周囲をめぐる道路を歩いてしばらく経つと、ついさっきまで海だった場所には干潟が広がり、気根と呼ばれるマングローブの特徴的な根が顕になっている。ふと、民宿のおじいの話を思い出す。「泊まる人のために、海に出かけてはシマダコを獲ってくるんです。潮が引いて、浅瀬になった珊瑚礁で捕まえるんですよ」。タコのほかにも、貝やエビといった海の恵みは、島の生活を支えてきた。その歴史は古く、縄文時代に暮らしていた人たちが残した貝塚が島の各地で確認されている。きっと干潮の日を待って豊かな海に繰り出したのだろう。いまでも「潮干狩り」として、その文化は根付いている。
朝焼けに照らされるマングローブ。潮の満ち引きの影響を受ける干潟は海鳥の生息地でもある。
沖縄本島で最大規模のマングローブ林が残る慶佐次川。汽水域に生育するマングローブをカヤックから間近で観察できる。
板根と呼ばれる根はマングローブの樹幹を支えるために発達したもの。かつてはまな板や船の舵として活用された。
山にもまた、食文化を知る手がかりがある。西表島の言葉でカマイと呼ばれるリュウキュウイノシシは、貴重なタンパク源であり、カマイ料理は猟期である冬の風物詩となっている。台湾から伝わったとされるワナで捕まえるのが一般的で、ワナの数を制限することで生態系への影響を抑える工夫がなされている。
世界自然遺産をふくめ、日本の国立公園や国定公園のほとんどは、自然保護区に制定される前から人の営みがあった。自然の恵みを受け取り、人びとは暮らしてきたのだ。島を見わたしてみると、保護エリアは決められているものの、その境界線は曖昧だ。集落のすぐ裏手には深い森が迫っている。西表島の人と自然は、ひとつの共同体なのだろう。自然は暮らしを支えるものであり、かけがえのない財産なのだ。
人家の少ない県道は野生動物の観察スポットとしても最適。雨上がりに姿を見せたのはリュウキュウイノシシだ。交通事故を防ぐため、車の走行には速度制限が設けられている。
徳之島の北端に位置する金見崎展望台から、朝日に照らされた海岸線を望む。
上/徳之島の北端に位置する金見崎展望台から、朝日に照らされた海岸線を望む。右/掛齢200年にも及ぶソテツの林。冬の北風から農作物を守る防風林や畑と集落の境界線として植えられたもの。
徳之島最西端の犬田布岬。垂直に切り立った岩壁は東シナ海からの波により侵食されてできたもの。
徳之島の東側と西側で朝日と夕陽を楽しむことができる。
奄美大島の密林に野鳥を探す。
音を立てぬよう、忍び足で森を歩く。気配を悟られぬよう息を潜め、梢の先に視線を送る。「ギャーギャー!」とけたたましい鳴き声の方へと進んでいくと、青紫色をまとった鳥がドングリをついばんでいる。奄美大島に生息するルリカケスだ。奄美大島では1000羽ほどが生息するとされ、国の天然記念物に指定されている稀少種。樹上を飛び回りながら餌を探し、ときには林道に降りてくることもある。かつては美しい羽が装飾品になると乱獲されたが、いまでは保護活動が功を奏し、個体数は安定しているという。
左上/奄美大島の山間部にはスダジイやオキナワウラジロガシといった照葉樹林が広がる。 右
下/恐竜時代を想起させるヒカゲヘゴ。日本に分布するシダ植物としては最大で、樹高は15mほどまで成長する。
ルリカケスの姿を求めて訪れたのは、北部にある奄美自然観察の森。動植物をはじめとする奄美大島の自然に関する展示だけでなく、隣接する森は野鳥の観察にも最適だ。ビジターセンターのレンジャー曰く「今年はどんぐりが豊作なので、観察にはよかったかもしれません。1日かけてもルリカケスが見つからないなんて、よくあることなんですよ」。
森には南西諸島に自生するオキナワウラジロガシの巨木が多く育ち、地面には木の実があふれんばかりに落ちていた。数時間のうちに、数えきれないほどのルリカケスが姿を見せてくれた。奄美大島の「森の宝石」に出会えたことを嬉しく思うと同時に、この自然がいつまでも残ってほしいと願うのだった。
山林に棲み、ドングリなどの木の実を主食とするルリカケス。
霧の合間から輝く満点の星空と北極星。
人の手により守られる自然。
車を停め、森の遊歩道を登っていく。小高い山頂の上には展望台があり、螺旋状の階段を上がる。息切れの苦しさを感じつつも最頂部から景色を見わたすと、海面で輝く太陽光の乱反射の奥に連なる緑の島々が遠望できた。
ここは、奄美大島の南端の油井岳の山頂。その南に連なるのは加計呂麻島だ。奄美大島が属する奄美群島は8つの有人島からなり、さらにその先にはゆるやかに弧を描くように琉球諸島がつづいている。奄美群島は、地殻変動により隆起した土地が約200万年前の海面上昇で海により隔てられ誕生した。沖縄の島々よりも後に大陸と切り離されたため、アマミノクロウサギやアマミトゲネズミ、アマミイシカワガエルといったここでしか見られない固有種が生息している。
振り返ってみると、島の中心部の方は延々と深い森が広がっている。照葉樹林の森に、点々とヒカゲヘゴが大きな葉を揺らしている。いまでこそ豊かな自然に覆われる奄美大島だが、かつては、農地として開墾され、薪炭、パルプ用材として木々が伐採されてきた歴史がある。そのため島の8割ほどを占める森林のうち、自然林と呼べるエリアはわずか1割にも満たないという。
奄美大島と加計呂麻の島々を望むことのできる油井岳展望台。亜熱帯ならではの照葉樹林の森を見ることができる。
しかし、生き物たちが暮らせるほどの森があるのはなぜだろう。それはきっと、島という限られた生活圏だからこその自然との向き合い方があるからではなかろうか。荒廃しないよう植林を行い、生態系を守る保護活動も盛んに行われてきた。また、奄美大島には山を信仰の対象とする文化があり、木の上には木の精霊ケンムンが棲むという言い伝えもある。人びとは自然を敬い、大切にしてきたのだ。
固有種を守る活動も行われてきた。肉食哺乳類などの外敵が生息しない一方、奄美大島の固有種のほとんどは外来種の脅威にさらされやすい。2000年代には、ハブ対策として移入されたマングースが生態系を破壊すると駆除活動が開始され、現在はほぼ根絶するまでに至った。ほかにも、稀少な昆虫を保護するための採集禁止種を指定するルールづくりも積極的に取り組まれている。
世界自然遺産のなかで、人の手が入りながらも世界自然遺産に指定されている地域は数少ないのだそうだ。世界に誇るべき数多くの固有種や独自の生態系がいまも残っているのは、生活の一部として自然を利用しながらも守りつづけてきたからなのだ。自然と人との共生。生命力に満ちた奄美大島の森を歩きながら、その可能性を垣間見たように感じた。
ジャングルトレッキングをへて辿り着いた西表島・ゲータの滝。流れ落ちる水流を間近で体感できる。