いまこそ、日本の世界自然遺産へ

Travel Story No.4

屋久島

Yakushima

太古から息づく
巨樹を育む
洋上の
サンクチュアリ

かつて屋久島の人びとは山を神々が暮らす場所として崇めていた。いまも深い森の奥には樹齢数千年にもなる屋久杉が佇み、美しくも険しい山岳は旅行者を惹きつける神秘性をたたえている。1993年に白神山地とともに日本ではじめての世界自然遺産に登録された、奇跡の島へ。

photo: Mina Soma  text: Kosuke Kobayashi

ABOUT 屋久島

鹿児島市から南に約135km、面積の約9割が森に覆われた洋上の山塊、屋久島。亜熱帯の島でありながら標高2,000mに迫る峰々が聳え、海岸線から山頂までに日本全体の自然植生が垂直に分布する特異な気候をもつ。樹齢数千年にもなる屋久杉が育つ原生的な天然林をはじめ、固有の植物が多く生育する山岳環境や温暖な黒潮がつくりだす豊かな海岸の生態系など、屋久島でしか見られない固有の自然環境が広がる。世界自然遺産登録後は多くの人が多様な島の魅力を楽しめるよう登山道や避難小屋が整備され、充実したガイドツアーが用意されるなど、多くの旅人へと門戸が開かれている。

白谷雲水峡(太鼓岩)
宮之浦岳
屋久杉自然館

ウィルソン株
黒味岳

屋久島のシンボル・
縄文杉を目指して。

樹齢7200年ともいわれる巨樹、縄文杉が発見されたのは1966年。島の猟師のあいだで噂になっていた「巨大な屋久杉」は大岩杉と名づけられ、日本中に知られることとなった。縄文杉という名前の由来は「縄文時代から生きている」「縄文式土器の縄目模様に似ている」などいくつかのいわれがある。その縄文杉が位置するのは、登山口から5〜6時間も歩いた山中。荘厳な姿をとらえた写真は数あれど、現実のものとして対峙してみたい。そんな思いを胸に、ずっしりと重くなったバックパックを背負い登山道を歩き出した。

※縄文杉の樹齢は2000年代〜7200年と諸説ある。

晴れの父島

縄文杉を目指す登山のスタートは日の出前。ヘッドライトを頼りに歩いていると、空が白みはじめていた。

片道8㎞にもなるトロッコ道。かつては木材の搬出に使われていたが、いまでは登山道の一部として活用されている。

テリハハマボウ
アカガシラカラスバト

多雨な環境は苔の生育を促す。屋久島には600種もの苔が生育しているという。

さまざまな植物が絡み合いひとつの生態系をかたちづくる。

いたるところに沢水が湧き、飲み水には困らない。土中で濾過された水は冷たく、口あたりがよく、疲れを癒やしてくれる。

テリハハマボウ
晴れの父島

2本の屋久杉が手をつなぎ、支え合うように融合している夫婦杉。

巨樹が佇む神秘の森へ。

8㎞にも及ぶトロッコ道の終点から、険しい山へと踏み込んでいく。整備はされているものの、アップダウンが多い登山道は、ときには手を使ってよじ登る難所もある。木の根を踏まないよう足の置き場にも注意を払いながら、転ばないようバランスを取りつづけるのは実に骨が折れる。縄文杉をはじめとする屋久杉が生育するのは標高1000m前後。登山口の標高が600mで、縄文杉が位置するのは1350mなので、ゆうに750mもの標高を登らなければならない。しかも1日の行程は10時間以上。日帰りの登山としてはハードに思うかもしれない。しかし道中のそこかしこに点在する魅力に気づくと、なんとも贅沢なルートなのだろうかと考えが変わる。美しく苔むした森、木々のあいだからこちらをうかがうヤクシカ、大王杉や夫婦杉といった、屋久杉の巨木がつぎつぎと出迎えてくれる。神秘的な世界に好奇心が覚醒し、険しい山歩きへの不安はどこかへ消し飛んでしまった。

「あとちょっとですよ」という言葉に励まされながら、延々とつづく木道を登っていく。ほどなくして、ひときわ賑やかなデッキに辿り着いた。ここが縄文杉の展望ポイントだという。促されて顔を上げると、そこには隆々とした幹をこちらに向けた老木が天に向かってうねるように太い枝を伸ばしている。「これはどの屋久杉とも違う」。そんな第一印象を抱きながらも、大きさを測りかねるほどの存在感に驚きを隠せない。かつて屋久島に暮らした詩人・山尾三省は「聖老人」と表現した。数千年のときをへて生きつづける大木を目の前に、畏怖の念を覚えるのだった。

ヤコウタケ(グリーンペペ)

縄文杉の周囲は16.4m。大人10人が手をつないでようやく一周できるほどの大きさを誇る。

アカガシラカラスバト

島の至るところで見られるヤクシマザル。本州のホンドザルと比べて小型で毛が長いのが特徴。

登山者が安全に山を歩くことができるよう、日々整備が行われている。1本10kg以上にもなる木材を運ぶのは人力だ。

テリハハマボウ
アカガシラカラスバト

縄文杉へとつづく登山道のほとんどは木道。歩行により木の根の破損や土壌の流出を防ぐ工夫だ。

晴れの父島

ウィルソン株の上部にはぽっかりと穴が空いている。伐採は300年以上前とされ、周囲には樹齢数百年の「小杉」が育つ。

かけがえのない自然を、
あるがままに。

屋久島への入込客数は、世界自然遺産に登録されてから増えつづけ、2007年には年間で40万人にも及んだ。それまで人がほとんど訪れることのない手つかずの自然環境にとっては大きな変化だっただろう。登山者の安全のために登山道が整備され、し尿の処理や木の根を踏み荒らさないためのデッキや木道が設置された。かけがえのない自然を持続的に楽しむために、さまざまな保全活動が行われてきたのだ。しかし、重機はもちろん車すら入れない山奥。木道をひとつ整備するのも多大な労力が求められる。人と自然の共存を支えるのも、また人の手によるものなのだ。道中で老朽化した階段を整備する人たちに出会った。「屋久島は雨が多いから、土が流れてすぐに登山道が崩れちゃう。水がたまらないように石を組んだり、急坂は木の階段で登りやすくしたりと、いろんな工夫があるんですよ」。屋久島が培ってきた環境負荷を抑える登山文化は、各地の世界自然遺産や国立公園にも活かされていると聞く。日本における世界自然遺産のさきがけとして、屋久島での事例はその礎を築いたともいえるだろう。

晴れの父島

地上部に気根と呼ばれる根を張り巡らせて育つガジュマルの別名は「締め殺しの木」。

アカガシラカラスバト
アカガシラカラスバト

/屋久島の標高が低いエリアは亜熱帯気候。巨大なシダや照葉樹などの南国らしい植生が見られる。 /傘になりそうなほどの大きな葉をもつクワズイモ。サトイモをそのまま大きくしたような見た目だが、名前のとおり毒があり食用にはならない。

アカガシラカラスバト

山道を歩いているとヤクシカがひょっこりと顔を出した。

島のガイドを担ってくれた赤松達哉さん。山のことはもちろん植物や動物にも詳しい自然の先生だ。

テリハハマボウ
晴れの父島

苔むした渓流が美しい白谷雲水峡。遊歩道が整備されており、気軽な散策から本格登山まで楽しめる。

晴れの父島

亜熱帯に位置する島でありながら、山岳エリアの標高は2,000mに迫り、亜寒帯気候の植生が広がる。

屋久島が育む、
多様な自然の姿。

山を歩いていると、木々や植物が変わっていくことに気づく。屋久島が世界自然遺産に登録された理由のひとつに、亜熱帯から亜寒帯まで「日本の気候がすべて詰まっている」という特殊な気候がある。登山道を歩いているとつい足元に気を取られてしまうが、見上げれば姿形が異なるさまざまな種類の植物があり、景色の変化も目まぐるしい。「今年はシャクナゲがたくさん蕾をつけているから、来年の春はきっと満開ですね」と、ガイドの赤松さんは嬉しそうに話す。屋久島の山頂付近にはヤクシマシャクナゲという固有種が広く分布している。毎年春に花を咲かせるのだが、数年に一度、アタリの年があるのだとか。四季ごとにさまざまな見どころがあるのも日本の自然の特徴だろう。「ぜひシャクナゲが咲く頃に来てください。山一面をピンク色の花が覆う景色は圧巻ですよ」。その言葉は心の底から発せられているのだろう。屋久島の自然とともに生きる赤松さんを羨ましく思った。

打ち捨てられた器

奥岳と呼ばれる島の中央部。主峰・宮之浦岳(標高1936m)をはじめ高峰が連なる。登山道以外に人工物はなく、手つかずの自然が広がる。

日本最南端の高層湿原、花之江河(はなのえご)。ミズゴケが泥炭化して堆積することでできた湿地は食虫植物をはじめ稀少な生態系の宝庫。

不要爆弾を落とした大きな跡
打ち捨てられた器

春を待つヤクシマシャクナゲの蕾。屋久島の最高峰である宮之浦岳周辺、標高1300m前後のエリアで見られる。

晴れの父島

屋久島の山岳で見られる花崗岩。かつて海底の火山活動で形成され、隆起したと考えられている。

ヤコウタケ(グリーンペペ)

黒味岳上空から山を見わたす。ヤクシマシャクナゲやツガ、ヤマグルマといった高山の植生が広がる。

奇跡の島を体感すること。

屋久島では、樹齢1000年以上の杉を屋久杉と呼び、それより若いものを小杉と呼ぶ。島を訪れる者にとって、小杉でも十分に巨樹。その貫禄には圧倒される。しかし、なぜここ屋久島だけに巨大な杉が生育するのだろうか。研究によると、縄文杉をはじめとする屋久杉は、本州で見られる杉と種類は同じなのだという。つまり、数千年にも及ぶ長寿は生育環境によるのものだと考えられているのだ。

ひとつは栄養が乏しい土壌環境。花崗岩でできた土では早く成長できず、そのためゆっくりじっくりと背を伸ばしていく。そのため年輪は目が細かく、強度の高い幹を形成する。本州の杉と比べて、同じ大きさになるまでに長い年月を要するのだ。もうひとつが多雨な環境。杉は雨が好きな植物だ。豊富な雨を受け生育するなかで木が腐らないために樹脂をたくさん分泌する。針葉樹ならではの、ツンとした芳香は防腐と防虫効果があり、結果として幹を守ることにつながる。屋久杉の多くは中心部が空洞になっているものも多い。それは古い木部が腐敗したものだが、この樹脂があるおかげで周辺部までは腐らずに育つことができるのだそうだ。

「屋久島は、台風が直撃するコースの上にあります。毎年のようにたくさんの木が雨風によって倒されてしまうのですが、これも屋久島の自然には欠かせない要素のひとつ。杉は背を伸ばしすぎると折れてしまう。だから屋久杉は風に耐えられるよう、ずんぐりむっくりした形に育つのですが、それが結果として強い木になり、長生きするのだと考えられています」。不思議な形をした屋久杉を見上げながら、ガイドの赤松さんが教えてくれる。山中にある屋久杉はひとつとして同じ形がなく、どれも個性的な樹形を見せてくれる。日差し向きや斜面の角度、風のあたり方といった条件にあわせて、適応しながら育っていった結果なのだろう。佇まいの美しさと同時に、自然で生きつづけるための逞しさを感じずにはいられなかった。

晴れの父島

展望デッキから見上げる縄文杉。いびつな樹形のため、木材としての価値がなく伐採を免れたという逸話が残る。

ヤコウタケ(グリーンペペ)

巨大な花崗岩でできた黒味岳。その山頂からは、全方向大パノラマの壮大な眺めが楽しめる。

Information


Photographer


相馬ミナ Mina Soma

1977年生まれ、奈良県出身の写真家。スタジオ、アシスタントを経て2005年よりフリー。『TRANSIT』をはじめ雑誌や広告で活躍中。