【58号 フィンランド特集】
幸福の国フィンランドの秘密!
#歴史編 ロシア・スウェーデンの支配

幸福度ランキングの上位に常に君臨するフィンランド。けれど幸福の国になるまでには、ロシアとスウェーデンに挟まれ翻弄されてきた険しい道のりがあった!?

text= TRANSIT, supervisor= YUKO ISHINO, illustration= ZUCK



●〜12世紀:中世以前

1万3000年前、ウルム氷期が終わって気温が上昇し、氷床が解けて北欧に陸が表出。1万年前にはフィンランド湾の南にフィン人が、北にはサーミ人の祖先が住み始めた。フィン人という呼称は、古代ローマの歴史家タキトゥスの記録に書き残された、北方の民「フェンニ」に由来する。 20230116_kouhukuronn_1.jpg 20230116_kouhukuronn_2.jpg

現在のフィンランドがあるエリアに、古くから先住してきたフィン人とサーミ人。言語学の分類では両者ともフィン・ウゴル系民族に属していて、ロシアを南北に走るウラル山脈付近から来たという説が有力。


●12世紀〜1809年:スウェーデン統治時代

8〜11世紀にかけて、スウェーデン、ノルウェー、デンマークに国ができるが、フィン人やサーミ人は国をつくらなかった。12世紀になるとスウェーデンは北方十字軍の名の下にフィンランドに攻め入り、実効支配する。スウェーデン統治下で、フィンランドもキリスト教化した。 20230116_kouhukuronn_3.jpg 20230116_kouhukuronn_4.jpg

スウェーデンの領土となったフィンランド。ノヴゴロド公国(古ロシアの都市国家の一つ)やデンマークがたびたびフィンランドに侵攻して戦場となり、フィン人が最前線で戦うことも多かった。


●1809年〜1917年:ロシア統治時代

幾度もフィンランドを挟んで争いを繰り返してきたスウェーデンとロシアだったが、第二次ロシア・スウェーデン戦争でロシアが勝利すると、平和条約によってフィンランドがロシア帝国に割譲される。ロシアの君主によって政策が変わり、フィンランドの人びとは一喜一憂することに。 20230116_kouhukuronn_5.jpg 20230116_kouhukuronn_6.jpg

当時のロシア帝国はフィンランドを支配下に置いたあとも拡大をつづけ、1860年代に最大領域となり、陸地の約6分の1を征服する勢いだった。1812年、トゥルクからロシアに近いヘルシンキに首都を移した。


●1917年〜1944年:独立と戦争

1917年にロシア革命が起きた際にフィンランドが独立。だが1918年にはフィンランド国内で赤軍(ロシアが支援)と白軍(帝政ドイツが支援)に分かれて内戦が勃発、白軍が勝利する。第二次世界大戦時にはソ連の侵攻を恐れてナチス・ドイツ側の協力を得たことで敗戦国になる。 20230116_kouhukuronn_7.jpg 20230116_kouhukuronn_8.jpg

1917年独立時にフィンランド大公国の領土をそのまま継承してフィンランド共和国となる。第二次世界大戦でソ連と争い、敗れたことで、南東部のカレリア地峡や北東部のペツァモなどを失う。


●1944年〜1990年代:復興、冷戦、ソ連崩壊まで

第二次世界大戦でソ連に敗れ、領土を失い、多額の賠償金を払うこととなったフィンランドだったが、徐々に国際社会に復帰。絶妙な外交戦略で、NATOにもワルシャワ条約機構にも加盟せず中立な立場をとって、ソ連と西側諸国の間で東西貿易の窓口として力を蓄えていく。 20230116_kouhukuronn_9.jpg 20230116_kouhukuronn_10.jpg

第二次世界大戦後は領土の変動はない。国土面積は約33万8424km²。日本が約37万7973km²なので日本の9割ほどの大きさ。人口およそ550万人が暮らしている。


●2000年代〜:幸せの国へ

1990年代後半に〈ノキア〉が世界的な携帯電話メーカーとなり、2000年代になって国民の幸福度やジェンダーギャップ、PISA(学習到達度に関する国際調査)などの世界ランキングで上位に入るようになって、フィンランドが幸福の国のモデルとして注目を浴びる。 20230116_kouhukuronn_11.jpg 20230116_kouhukuronn_12.jpg ロシアとは冷戦前後も貿易や観光でも友好関係を築いてきたが、2022年のロシアのウクライナ侵攻によって、フィンランドとスウェーデンはNATOへの加盟を申請。勢力図が変わろうとしている。


幸せは歩いてこない?


世界の幸福度ランキングで5年連続1位。建国わずか100年ほどで、国民の満足度の高い成熟した社会を実現させているフィンランド。いつからその幸福の兆しはあったのだろう?
その昔、バルト海の西側に位置する現在のフィンランド一帯には、国という国をつくらずにウラル語系のフィン人とサーミ人が暮らしていた。12世紀に入るとスウェーデン王国が侵攻してきて、およそ約700年の支配を受けることになる。さらに東にはスラヴ系のロシアが控え、フィンランドを挟んでスウェーデンとロシアが常に睨み合っていた。度重なる戦争をへて、1809年にはフィンランドの支配権がロシア帝国に移った。
長きにわたって両国の影響を受けてきたわけだが、その間に「私たちは何者なのか?」という問いがフィンランド人に芽生えていく。そしてロシア統治の最中に、フィンランド語で民事叙事詩『カレワラ』を編纂したり、24歳以上の男女に参政権を付与する(現在は18歳以上)など、自分たちが理想とする文化や社会をつくり始める。19世紀には「我々はスウェーデン人には戻れない。ロシア人にもなれない。そうだフィンランド人でいこう」という言葉が生まれ、1917年に念願の独立を果たしたのだ。
自らの手で国をかたちづくることの尊さ。健康で文化的に暮らすことの切実さ。それを誰よりも知っているからこそ、フィンランドは幸福の国に世界で一番近いのかもしれない。



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TRANSIT58号『春夏秋冬フィンランドに恋して』

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