多民族国家ロシアに迫る
世界最大の国に散らばる
知られざる小さなロシアたち

Story - 2023.02.25
ロシアの正式名称は「ロシア連邦」、英語名で「Russian Federation」と表記するように、ロシア国内には複数の州や共和国などがあり、ロシアはそれらを法的・政治的に1つに束ねた国家体制をとっている。
2014年には、ウクライナ領内だったクリミア半島の一部が、突如「クリミア共和国」としてロシアに編入されることとなった(国連をはじめ多くの国は、ウクライナ憲法に違反するとしてこのクリミア併合を承認していない)。

さらに2022年には、ウクライナ東部に親ロシア派組織によって「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」が建国され、ウクライナからの独立とロシアへの編入を主張。ロシアとウクライナの間で領有権をめぐって対立が続いている。

現在、ロシアには49の州(国際的には47)、24の共和国(国際的には21)、9の地方、4の自治管区、3の連邦市(国際的には2)、1つの自治州の連邦構成主体に分かれて国ができている。ここでは民族、宗教、カルチャー、産業が息づく、共和国、自治管区、自治州に焦点を当てる。




●共和国


ロシア民族以外の特定の民族が郷土とする地域。独自の公用語、憲法、首長、議会を有する。自治を行うのは比較的大集団の少数民族で、彼らは「基幹民族」と呼ばれ、共和国に民族名を冠している。ただ共和国によってはロシア人の移住が進んでいて、基幹民族よりロシア人の比率が高い国も多い。州よりも自治の領域が広い。

サハ共和国


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©️Стеф Кельнер

ロシア全土の18.2%を占める広大な面積を誇る。最低気温(マイナス71度!)の世界記録をもつオイミャコン村がある。領土はほぼ永久凍土で、気候は厳しく、かつてはシベリアの流刑地だった。13世紀には中央アジアからテュルク系のサハ人が、17世紀初頭には、ロシア人が進出。ダイヤモンド、石油、ガスといった地下資源が豊富。公用語はロシア語、テュルク諸語のサハ語。

アルタイ共和国


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©️Aleksey Gavrishev

南シベリアのアルタイ山脈の間に位置する。かつてアルタイ民族は遊牧生活を送っており、伝統的にシャーマニズムを信仰していた。1756年にロシアに併合され、ロシアの農民が大量に移住。現在は畜産業、木材工業、金や水晶の採掘などが主な産業。世界遺産のゴールデン・マウンテンがあり、カトゥン自然保護区では絶滅危惧種のユキヒョウや希少なジャコウジカ、シベリアイタチなども暮らす。公用語はロシア語、テュルク諸語のアルタイ語とカザフ語。

トゥヴァ共和国


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©️Bob

南部はモンゴルと接している。モンゴルや清の支配を受けていたが、分離独立運動を行い、ロシア帝国の保護領となり、1921年にトゥヴァ人民共和国が設立された。シベリア地域にあって、8000以上の河川、温泉など自然資源に恵まれる。山岳地帯で、トゥヴァ人は羊、ヤク、トナカイの放牧をして遊牧生活を送る。アニミズムとチベット仏教を信仰し、「ホーメイ」と呼ばれる独特な歌が有名。シャーマニズムも盛ん。公用語はロシア語、テュルク諸語のトゥヴァ語。

ハカス共和国


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©️Fedor Odegov

東シベリアの南西部にある。ハカシア盆地には、4〜5万年前の中期旧石器時代の洞窟をはじめ、さまざまな時代の墳墓や遺跡が散在する。ハカス人はアニミズムとチベット仏教を信仰していたが、1707年にロシアに併合されて以降、多くがロシア正教に強制的に改宗することとなった。現在は住民の8割近くがロシア人。公用語はロシア語、テュルク諸語のハカス語。

ブリヤート共和国


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©️Olga Kruglova

東シベリアにあるバイカル湖の南東部に位置する。モンゴル系のブリヤート人が伝統的な牧畜を営んでいたが、16世紀になると金と毛皮を求めてロシア人が流入。宗教は自然信仰とチベット仏教が緩やかに融合していて、街中にはところどころにチベット仏教の寺院や仏塔がある。公用語はロシア語、モンゴル系のブリヤート語。

カレリア共和国


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©️Katya Smolina

ロシア北西部にあり、東は白海、西はフィンランドと接する。約27,000の河川と約60,000の湖がある。カレリア人は民族的にフィン人と近く、フィン・ウゴル語派のカレリア語を話す。この地をめぐってロシア、フィンランド、スウェーデンが争い、1721年にロシア領へ。豊富な自然資源をベースにした林業、鉱業、魚加工業などが主産業。公用語はロシア語。

コミ共和国


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©️United Nations Development Programme in Europe and CIS

ウラル山脈の西部、東ヨーロッパ平原の北東部にある。北部のツンドラは欧州最大の原生林に覆われ、ロシア初の世界自然遺産に。主な産業は林業と石油、石炭、天然ガス、金。採れた木材は、ペチョラ川とペチョラ鉄道を通って運ばれる。1921年からロシア領。ロシア系、コミ系等の人びとが暮らす。公用語はロシア語とフィン・ウゴル語派のコミ語。

ウドムルト共和国


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©️Alexxx Malev

ヴォルガ川中流域とウラル山脈の中間に位置し、総面積の45%は森林。かの地に古くから暮らしていたウドムルト人はアニミズムを信仰し、12世紀頃にはロシア人開拓者が到達。ソ連時代、首都イジェフスク市は兵器産業で発展していたため、外国人が立ち入ることのできない閉鎖都市だった。イジェフスクにある兵器工場(現イズマッシュ社)で、ミハイル・カラシニコフは"世界でもっとも多く使われた軍用銃"としてギネス世界記録にも登録されている自動小銃「AK-47」を設計している。公用語はロシア語とフィン・ウゴル語派のウドムルト語。

タタールスタン共和国


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©️Boris Alexeev

東ヨーロッパ平原に広がり、ヴォルガ川とカマ川に挟まれた場所にある。テュルク系民族のタタール人が多く暮らし、宗教的にはイスラームのスンニ派が多い。なおタタール人はロシア国内で二番目に多い民族で(一番多いのはロシア人)、タタール人の多くが暮らしているのが、このタタールスタン共和国。石油埋蔵量が10億トンあると予測され、石油化学などの重工業が発達している。またイノポリスと呼ばれるIT特区ではIT企業や大学が置かれて研究都市としても注目されている。1552年にロシアへ併合。公用語はロシア語とテュルク諸語のタタール語。

チュヴァシ共和国


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©️Petr Melnikov

国土の3分の1が広葉樹の森林で、東西に流れるヴォルガ川の流域にチュヴァシ台地が広がる。テュルク系のチュヴァシ人は独自の宗教をもっていたが、1551年にロシア支配下に入って以降、ロシア正教に改宗した。ソ連時代から自動車工業などが発展していて、比較的裕福。公用語はロシア語とテュルク語族のチュヴァシ語。

バシコルトスタン共和国


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©️Yuri Rapoport

ウラル山脈南端にあり、高原や峡谷が織りなす風景の美しさから、"ロシアの真珠" と謳われる。イスラームのスンニ派を信仰するバシキール人やタタール人など、30以上の民族が居住する。 石油を多く産出する。17世紀初頭にロシアへ併合された。ロシア語とテュルク系言語のバシキール語を公用語とする。

マリ=エル共和国


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©️Sergey Ponomarev

ヴォルガ川流域にあり、国土の半分以上を針葉樹と広葉樹の森林が占める。同地に5世紀頃から居住するマリ人は、伝統的に自然崇拝を行ってきた。16世紀、ロシアにより占領されて以降ずっと対立してきたが、現在は共和国として独立。公用語はロシア語とフィン・ウゴル語派のマリ語。

モルドヴィア共和国


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©️tevfik ozkavci

ヴォルガ川中流域の肥沃な黒土地帯にあり、古くより農業が発達。小麦、ライ麦、アワなどを生産する。1930年にロシアへ編入された後は、ロシア正教が広がったが、シャーマニズム信仰の影響が残る。公用語はロシア語、フィン・ヴォルガ諸語のモクシャ語、フィン・ウゴル語派のエルジャ語。ロシア人についで、モルドヴィン人、タタール人が多い。

アディゲ共和国


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©️Сергей Пашнин

カフカス山脈の丘陵地帯にあり、北部は平野で、南部は山岳地帯。同地に旧石器時代より居住するアディゲ人はイスラームのスンニ派を信仰。1864年のロシア帝国への併合後、多数がオスマン・トルコへ移住した。ロシア人に次いで、アディゲ人、アルメニア人、ウクライナ人、クルド人が多い。公用語はロシア語、北西コーカサス語族のアディゲ語。

カルムイク共和国


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©️dardashew

カスピ海の北西に位置する。1920年に自治州として設立。ロシア国内でも仏教徒が多い地域だが、スターリン時代にはカルムイクの人びとは仏教が禁じられ、1943年にはナチス・ドイツに協力したとして、シベリアや中央アジアに強制移住させられ、自治共和国は廃止され、弾圧を受けた。1957年にカルムイク人が帰還できることになり、再び自治州になる。公用語はロシア語、モンゴル語族のカルムイク語。

イングーシ共和国


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©️Liliya M

大カフカス山脈中央部にあり、南部はジョージアに接する。住民の多くがイングーシ人でロシア人は少ない。イングーシ人とチェチェン人は同じ民族で、ともにイスラームのスンニ派。1859年に帝政ロシアに併合される際に、抵抗が少なかった西部をイングーシ人、抵抗が多かった東部をチェチェン人と呼んで分断された。イングーシ人、チェチェン人はスターリン時代に中央アジアやシベリアに強制移住させられ、チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国は消滅、領土は北オセチア自治共和国へ編入。スターリンの死後、1957年にチェチェノ・イングーシ自治共和国が復活する。その後、分離してイングーシ共和国となる。現在も、チェチェン共和国とは国境問題、北オセチア共和国とは領土問題を抱える。公用語はロシア語と北東コーカサス語族のイングーシ語。

カバルダ=バルカル共和国


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©️Alexxx Malev

大カフカス山脈中央部にあり、西はジョージアに接する。16世紀中頃からロシア帝国とオスマン帝国が争い、1827年にロシアへ併合された。主要住民はカフカス系のカバルダ人とテュルク系のバルカル人。民族系統は異なるが、ともにイスラームのスンニ派。バルカル人はスターリン時代に中央アジアへ強制移住させられ、1957年に帰還が許された。公用語はロシア語、カバルド語、カラチャイ・バルカル語。

カラチャイ=チェルケス共和国


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©️dardashew

国土の8割はカフカス山脈に連なる山地。 南部にはロシア最高峰のエルブルス山(5642m)があり、登山者も多い。この地に、カラチャイ人とチェルケス人など、80を超える民族が暮らす。諸民族はロシア に抵抗したが、1828年に併合される。

北オセチア=アラニア共和国


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©️Alexxx Malev

カフカス山脈の北側に位置していて、南にはジョージアがある。ここに暮らすオセット人はイラン系の言葉を話し、ロシア正教徒の割合が高い。政府も親ロシア派で、ロシア軍がチェチェンに侵攻する際の拠点に使われた。2004年にはチェチェン共和国独立派の武装集団がベスラン学校に立て篭もり、350人以上が死亡した。公用語はロシア語、イラン語派のオセット語。

ダゲスタン共和国


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©️grijsz Hans

ロシア最南端に位置する。トルコ語の国名 "ダゲ(山)" "スタン(国)" が表すとおり、国土の4分の3は大カフカス山脈の山岳地帯。山が人の往来を妨げ、現在も30以上の民族が部族的な生活を送る。多くはイスラームのスンニ派。ロシアに抵抗したが、1921年に併合される。2022年9月に発令された「部分的動員令」に対して首都マハチカラでデモがおきて、100人以上が警察に拘束された。元UFC世界ライト級王者のハビブ・ヌルマゴメドフを筆頭に格闘技界で優秀な選手を輩出していることでも知られる。公用語はロシア語等。

チェチェン共和国


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©️ilovehijab

北カフカス地方の北東部に位置する。チェチェン人が多く暮らし、ロシア人はわずか。チェチェン人はイスラームのスンニ派を信仰し、18世紀からロシアの支配に抵抗してきた。スターリン時代にはイングーシ人とともにカザフスタンやシベリアへ強制移住させられている。反露感情が強く、ソ連崩壊後に独立を求めるが、そのたびにロシアが軍事介入してきた。1994年、1999年に2度のチェチェン紛争が起き、それぞれ終結したが、根本的な解決にはいたっていない。公用語はロシア語、カフカース諸語のチェチェン語。

クリミア共和国(ウクライナと帰属係争中)


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©️dmitry vetrov

ウクライナ南部のクリミア半島に位置する。クリミアは紀元前から黒海に面した交通の要所として、覇権が争われてきた場所。1783年にオスマン帝国からロシア帝国の手に渡り、クリミア半島のロシア化がはじまる。1850年代にはイギリス、フランスなどの連動国とロシアの間でクリミア戦争が起きた。ソ連時代の1954年にウクライナに移譲され、1991年のソ連崩壊でウクライナが独立をすると、クリミア半島内はウクライナからの独立を願う親ロシア派とウクライナ派で2分されることに。1996年にウクライナ領土内で「クリミア自治共和国」となっていたが、2014年2月にウクライナで親ロシア派のヤヌコーヴィッチ政権から親EU派の政権に交代した際、ロシアと自治共和国内のロシア系住民が危機感を持ち、ウクライナからの分離独立を宣言。2023年現在も帰属問題が続いている。公用語はロシア語、ウクライナ語、クリミア・タタール語。

ドネツク人民共和国(ウクライナと帰属係争中)

ウクライナ東部のドネツク州で、親ロシア派勢力が国家を名乗っているエリア。2014年にもドネツク人民共和国の建国とウクライナからの分離独立が宣言して、紛争が続いていた。2022年9月に住民投票によってロシアへの併合を宣言。しかし住民投票にはロシア併合への反対票を投じたものを殺害するといった内容の脅迫があったとされ、国連から国際法に反すると指摘を受けている。2022年のロシアのウクライナ侵攻の戦場の一つとなっている。公用語はロシア語。

ルガンスク人民共和国(ウクライナと帰属係争中)

ウクライナの最東端にあるルガンスク州で、親ロシア派勢力が国家を名乗っているエリア。ドネツク人民共和国 と同じように、2014年にも親ロシア派住民によって建国が宣言されている。2022年9月に住民投票で9割の賛成票を得たとして、ロシア併合を宣言。2022年以降、ドネツク州とルガンスク州のあるドンバス地方は、ロシア軍とウクライナ軍が衝突する最前線となっている。公用語はロシア語。


●自治管区


自治州を統治している民族よりさらに小規模の先住民族(プレーミャ)によって自治が行われる。1990年のロシア憲法改正によって地方や州と同格の扱いとなった。周囲の州と統合の計画もある。

チュクチ自治管区


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©️Anastasiya Astrakhantseva

ユーラシア大陸の最北東部に位置し、大部分は北極圏にある。 冬季が10カ月もつづく極寒の地に、チュクチ人などの先住民が暮らす。チュクチ人は夏には捕鯨を行う。東に臨むベーリング海峡がアメリカ(アラスカ州)との国境になり、アメリカと近いことから、チュクチ内のどこへ行くにもロシア連邦保安庁の許可を受けなければならない。公用語はロシア語、古シベリア諸語のチュクチ語。

ハンティ=マンシ自治管区=ユグラ


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©️Irina Andreevna

ウラル山脈の東側にあり、オビ川が東西に横断して流れる。先住民はハンティ人、マンシ人など数が少ない。1960年代の油田発見後、資源産業を当てにロシア人が大勢流入したことに起因する。現在は、原油と天然ガスを産出し、石油工業の拠点となっている。公用語はロシア語。

ヤマロ=ネネツ自治管区


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©️Ichabod H

シベリアの北西端にある。土地の言葉で "地の果て" を意味するとおり、領土(75万㎢、日本の約2倍)の半分以上は北極圏。住人の大半はロシア人で、ネネツ人を凌駕。世界的な天然ガスの産地で、1990年前後は生産量が全世界の4分の1を占めた。

ネネツ自治管区


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©️Andrey Snegirev

東西に延びる領土は北極海に面し、4分の3がツンドラ地帯。永久凍土層が広がり、農業には適さない。この地に暮らしてきたコミ人(コーカソイド系)やネネツ人(モンゴロイド系)は漁業、狩猟、トナカイの飼育などを生業にしている。宗教は自然崇拝が主。天然ガスと原油も採れる。用語はロシア語、ウラル語族のネネツ語。



●自治州


国家をもつまではいかないが、ある程度まとまった民族が暮らしているエリア。ソ連崩壊後、1992年のロシア憲法改正で、アディゲ、アルタイ、カラチャイ=チェルケス、ハカスは共和国となり、現在、自治州はユダヤ自治州のみ。

ユダヤ自治州


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©️Marco Fieber
アムール川を挟んで中国の黒竜江省と接する地にある。1928年、スターリンの社会主義政策の一つとして、ユダヤ人が自治する土地をつくる計画が立ち上がる。1948年のイスラエル建国に先立つこと20年。自分たちの国をもつことを夢見たユダヤ人入植者が集うが、夏は暑くて冬は極寒という過酷な土地で開墾を諦めて逃げていく人たちも多かった。1930年代に入ると、スターリンはユダヤ人への迫害を開始。多くのユダヤ人がドイツやアメリカへ逃亡することとなる。2000年時点で、自治区内にはロシア人やウクライナ人が多数を占め、ユダヤ人は1%ほどしかいない。公用語はロシア語、イディッシュ語。



世界一大きな面積を誇るロシア。その巨大なモザイク国家を構成する欠片の面々を知ることができただろうか。