ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってから、2月24日で1年。
歴史を遡ると、エストニア、ラトビア、リトアニアで構成されるバルト三国も、ロシア支配などにより運命を翻弄されてきた。
1991年の独立以降、三国が脱ロシアを目指してどのようなことに取り組んできたか一部を紹介しよう。
text = MISAKO TATEOKA
cooperation = HIROMI KOMORI
●NATO、EUへの加盟
©︎Utenriksdepartementet UD
独立後、バルト三国がもっとも優先したのがEUへの加盟。バルトにとっては独立した国家であることを維持し、西欧社会への回帰を果たすことを意味し、EU諸国にロシアから守ってもらうことにもなる。国政や社会の整備を行った3カ国は1990年代後半から加盟交渉を開始し、2004年に加盟を実現。その少し前に、ロシアの反対により加盟承認が見送られてきたNATC(北大西洋条約機構)にも加盟を果たした。
●徴兵制の復活
©︎KASP
2014年、ロシアのウクライナ・クリミア半島への軍事介入はバルト三国の住民に衝撃をもたらした。その影響を受けて2015年にはリ トアニアが徴兵制を復活させたが、兵士の3分の2は自発的に集まった志願兵であったと いう。リトアニアでは同年、市民に「有事ガイ ド」を配布し、侵略者としてのロシアへの抵抗を説いている。またエストニア、ラトビアには、国防軍や民間の防衛組織などがある。
●民主化政策
©︎Signatarai.Signatories_of_Lithuania
独立後、バルト三国が一番に実施したことの一つが新 しい政治体制の構築、つまり新憲法の制定だ。1992年6月、10月には、エストニア、リトアニアで新憲法が誕生。翌1993年、ラトビアでは過去に制定した憲法を復活させ、一部を修正し現代に合ったものに変えた。ベースには、民主主義を基本としたドイツ憲法がある。大統領の権限は象徴的なものとすることのほか、任期や再選回数についても定められた。
●エネルギーの多角化
©︎AB Klaipėdos Nafta クライペダ港における FSRU(浮体式貯蔵再ガス化設備)
ロシア産の天然ガスに大きく依存していたバルト三国。オイルシェールのあるエストニア以外の2国はエネルギー資源が乏しく、独立後はソ連によるオイル供給ストップや値上げに苦しんだ。そんな三国が目指したのはエネルギーの自立と多角化。2006年に石油ターミナル、2014年に液化天然ガスの輸入施設、2015年にはスウェーデンとポーランドとの国際連系線が完成し、ロシアへの依存度は下がりつつある。
●教育改革
©︎Diego Delso エストニアのタリン大学
バルト三国では、自国史やソ連占領期の歴史を客観的に学べるカリキュラムに加え、IT教育にも力を傾けている。エストニアでは、小学生からプログラミング教育が始まり、授業を通して創造力やロジカルシンキング、協調性を身につけることができる。 課外授業でも、ウェブデザイン、アプリ作成、ロボッ ト工学など多様なプログラムが用意されており、ITに強い人材が豊富に育っている。
そもそもなぜバルト三国は狙われたのか?
支配されている間に何があったのか?
そして独立後の現在は?
長きにわたるvsロシアの足跡は
こちらから。