ロシア近隣の国々の闘い
バルト三国 vs ロシア
国境線とアイデンティティの攻防

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©YURIKA KONO

ソ連時代から現代のロシア連邦になってからも、領土拡大のためにたびたび国境を脅かしてきたロシア。近隣の国々はどのように運命を翻弄されてきたのか。

TRNSIT47号「バルトの光を探して」から、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国とロシアの攻防を一例に振り返る。そもそもなぜ三国は狙われたのか? 支配されている間に何があったのか? そして独立後の現在は? 歴史の中でバルト三国が失ったもの、また守り抜いたものを追っていく。

text=MISAKO TATEOKA / cooperation=HIROMI KOMORI


【なぜバルトは狙われた?】


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「バルト三国」と一括りにされることが多いエストニア、ラトビア、リトアニア。しかし、その歴史や民族構成、文化・宗教を辿っていくと、まったく異なる背景をもっていることがわかってくる。これらの国が一緒くたに語られるようになったのは、1940年にほぼ同時にロシア(当時はソ連)に併合され、その後同時期に独立回復を果たしてからである。

1940~41年、1944~91年にわたるソ連支配は、バルト三国各国を傷つけ、人びとの運命を翻弄した。ではなぜ三国はソ連に狙われたのだろうか。

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1930年代後半のラトビアの首都リガの様子。左側に自由の記念碑が見える。
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ソ連支配を経て、1941年にドイツ軍に侵攻されたエストニアの首都タリン。

一つは、戦争を見据えたときにバルト三国の領土をロシア側が抑えることで得られる地理的なメリットがある。当時、仮想敵国としていたナチスドイツとの間に緩衝帯をつくることができ、極寒の冬でも凍らないラトビアのリガやエストニアのタリンといった不凍港を確保することができて、物資の補給がしやすくなるというわけだ。

しかし、バルト三国の歴史を専門に研究する早稲田大学の小森宏美教授は、こうした戦略上の重要性に加えて、古から大国として君臨してきた"ロシアならではの思考"も起因していると指摘する。

つまり当時のソ連の解釈では、「バルト海以西にあるエストニア、ラトビア、リトアニアは、ロシア帝国時代から自国の一部であり、現在は一時的に手元を離れただけ」ということらしいのだ。

隣り合う国が、泣く子も黙る「ザ・大国」であったことが、バルト三国の最大の不運であったとしかいいようがない。では、混迷の歴史の中でバルト三国は何を失い、何を守り抜いたのか? 順番に見ていきたい。


【失ったもの】


▶︎人口──ソ連による強制連行、大戦の主戦場に 20220309_01.jpg
多くの人が連行された。写真は1941年のリトアニア。

第二次世界大戦後、国家の立て直しが容易でないほど、多くの命が失われたバルト三国。亡くなった人数は、エストニアで人口の25%、ラトビアで30%、リトアニアで15%といわれているから膨大だ。原因はスターリンによるシベリアへの強制連行、ドイツ軍によるユダヤ人弾圧、そして戦死だ。地域によっては、同国人がドイツ軍とソ連軍に分かれて戦ったという悲しい記録も残っている。


▶︎建築──荒廃した各都市と歴史的建造物 20220309_05.jpg
爆撃で破壊された1944年のエストニア・ナルヴァの街。

美しい街並みから「バルト海の真珠」と呼ばれた、エストニア第三の都市ナルヴァ。ここは第二次世界大戦の激戦地となり、ソ連軍の空爆で灰燼に帰した。ほかにも、リトアニアやラトビアの街とその建築物が甚大な被害を受けた。戦後、都市は再建されたが、中世の欧州を感じさせるような趣きは異なり、ソ連の近代建築が立ち並ぶこととなった。


▶︎宗教──スターリン個人崇拝へ 20220309_04.jpg
ソ連がつくった反宗教ポスター。「宗教的祝日禁止!」と書かれている。

無神論が貫かれた共産主義において、宗教やそれに関する施設は弾圧の対象であった。聖職者は国外追放され、神学校は閉鎖、教会は倉庫やコンサートホールとして利用されることに。代わりに集団農場のトラクター運転手など「労働者」が称賛され、学校でもスターリンを称える歌や共産主義団体への加入が義務付けられた。


▶︎環境──今もつづくバルト海汚染
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リトアニアにソ連が建てた工場。軍需品などが量産された。

ソ連による急激な工業化、生産効率第一主義の方針は、バルト三国の工業化に貢献した一方で、深刻な環境汚染を引き起こした。ラトビアでは1950年代から河川の汚染が問題になり、エストニアでは1960年代に土壌汚染や大気汚染などが問題に。バルト海も汚染され、一時は魚が棲めない海となった。現在状況は改善されつつある。リトアニアにソ連が建てた工場。軍需品などが量産された。


【守ったもの】


▶︎母国語──学校の授業では迷わず母語を選択 20220309_08.jpg
ソ連時代のラトビアの学校の様子。写真は6年生のクラス。

ソビエト化が進んだ占領期、学校ではロシア語か母語のどちらかを選ぶことが義務付けられていた。ほかの加盟国ではロシア語を学ぶ学生が多かったが、バルト三国では母語を選択したものが多かった。そこには、独立にかける思いや、自分たちの文化を誇りに思う気持ち、そしてロシアを密かに見下すような思いがあったといわれている。


▶︎習慣・伝統・文化──政治的でないものにはソ連も寛容だった?
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ラトビアの歌と踊りの祭典の様子が描かれたソ連製の切手。

伝統的な刺繡や織物、合唱祭など、政治的な意味合いの薄いものについては、ソ連の弾圧の対象とならなかった(合唱祭では、ソ連の旗や共産主義的な歌は必須であった)。クリスマスなどの宗教行事は、無神論を掲げるソ連の意志に反してはいたものの、カーテンを閉めてこっそりやっていた、という家庭も多いようだ。


【ソ連時代の名残を感じるバルト三国の産業】


バルト三国では、ソ連の支配を受けていた時代に栄えた産業が、いまも発展しているケースがある。その一部を見ていこう。

▶︎エストニア×IT
Skypeなどのサービスを世に出し、国会選挙もネットで行われているエストニア。ソ連時代にはサイバネティックス(人工頭脳学)研究所があったことから、ITに強い人材が多い。最近はサイバーセキュリティも強くなりつつある。

▶︎ラトビア×製薬
ソ連時代から、薬の開発分野に強かったラトビア。日本の大鵬薬品の抗がん剤「フトラフール」のオリジナルはラトビアでつくられたもの。製薬に強い大学もいくつもあり、今後の発展が期待される。

▶︎リトアニア×バイオ
リトアニアはバイオテクノロジーや薬学などの分野が得意。とくにバイオテクノロジーでは、遺伝子工学や、化学汚染物質の排除、薬品研究などが進んでいて、アメリカやアジア各国に輸出されている。


【1991年〜現在/新しく柔軟な国のかたち】


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1991年に再独立を果たしたバルト三国では、念願だったヨーロッパへの回帰を粛々と進めていく。独立後、もっとも優先したのがEUへの加盟。1990年代後半から加盟交渉をはじめ、2004年にEU加盟を実現。その少し前には、ロシアの反対により加盟承認が見送られてきたNATO(北大西洋条約機構)にも加盟を果たした。

またエネルギー面でも自立を目指す。ロシア産の天然ガスに大きく依存していたバルト三国。オイルシェールのあるエストニア以外の2国は、ロシアのオイル供給ストップや値上げに苦しんできた。そこで、2006年に石油ターミナル、2014年に液化天然ガスの輸入施設、2015年にはスウェーデンとポーランドとの国際連系線が完成して、ロシアへのエネルギー依存度が下がりつつある。

また2014年のロシアのウクライナ・クリミア半島の軍事介入に衝撃を受けたバルト三国は、2015年にはリトアニアが徴兵制を復活させた。市民には「有事ガイドブック」が配られて、ロシアへの抵抗が説かれている。ちなみにエストニア、ラトビアには、国防軍や民間の防衛組織がある。

一方ロシアはというと、どうしても「大国意識」が疼いてしまうのか、支配を諦めていない様子。バルト三国に輸出していた石油などのエネルギー資源の値上げや供給停止、度重なるサイバー攻撃など、さまざまな手法を組み合わせた「ハイブリッド」な攻撃を繰り出して、手中に収めようと大暴れ。

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それに対してバルト三国では、小国だからこその機動力を活かした政策を実施している。たとえば、電子国家・エストニアでは2014年から、エストニアに住んでいなくともネットで申請をすれば国民になれる「e-Residency」プログラムを導入。「国家」の概念を覆すアイデアは世界の注目を浴びた。バーチャルな空間で国民を増やすことは、仮に国土が侵略されても「国家」や「国民同士の団結」を保持することにも繫がるという考え方もある。

厳しい占領期の記憶があるからこそ、柔軟に新しい国のかたちが育まれているのかもしれない。

大国ロシアの近隣にある国々が、どのように自国の国境線とアイデンティティを守ってきたのか、その一面を感じられただろうか。

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