旅と本と映画
イスラエルを知る5作
細田和江選

本や映画で世界を旅しよう。

そのエリアに造詣の深い方々を案内人とし、作品を教えていただく連載の第12回。

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歴史、政治、民族的問題で"報道"されることが多いイスラエル。だけど、そこで生きるひとたちのありふれた日常も知りたい。イスラエル・パレスチナの文化研究を行う細田和江さんにイスラエルをより深く知るための本と映画を選んでもらいました。



イスラエルを知る本と映画

text=KAZUE HOSODA




『首相が撃たれた日に』

ウズィ・ヴァイル著、母袋夏生・広岡杏子・波多野苗子訳(河出書房新社)

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 すでに30年のキャリアがある作家の本邦初紹介となる本(2022年刊)で、これまで発表した作品のなかから3名の訳者が選んでまとめたものです。表題作の「首相が撃たれた日」は1991年に書かれたものですが、1995年に当時の首相イツハク・ラビンが極右のユダヤ人の凶弾に倒れ、現実となりました。このように未来を予言したかのような作品で注目されたヴァイルが描くのは、イスラエルの若者が抱いている軍隊での理不尽な出来事や恒常的な死への恐怖というあくまで内省的なものです。そしてまさにこれが国民皆兵制をひくイスラエルの"現実"です。

 この作品集で私が気に入ったのは「もう一つのラブストーリー」です。2048年、建国100年を迎えようとするイスラエルで国民の士気を高めるためアンドロイドの「ヒトラー」と「アンネ・フランク」を製作するというSFです。ユダヤ人が「ヒトラー」を話題にするなんて、不謹慎では?と心配になるような設定ですが、これが意外にも"愛"の物語として成立しています。

 作品集にはほかに、江戸時代の僧侶・良寛が主人公の物語なんてものも載っています。テロや紛争、宗教など遠い世界の異文化が背景の物語であっても、突然良寛が登場するような話も書いてしまうような作家の個性のおかげ?なのか、物語の世界に引き込まれてしまいます。


『エルサレムの秋』

A. B.イェホシュア著、母袋夏生訳(河出書房新社)

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 この『エルサレムの秋』に収録の1作目「詩人の、絶え間ない沈黙」はイスラエルの政治状況や社会状況、紛争などが描かれているわけではありません。むしろ、どこの世界でも起こるような家族の物語です。高齢出産の末、産後の肥立ちが悪く妻を亡くした初老の詩人が、愛する妻の命と引き換えに生まれた息子の障害に絶望し、彼と過ごす日々を描いた物語。政治的な文脈は一切語られないけれど、こうした個人的で、心の奥底に沈んでいるような苦悩もまた、イスラエルの"現実"なのです。

 愛する人を失い、詩人としてのキャリアの全盛期を過ぎてしまった男は、何もかもを捨てて隠遁するために「足枷」となっている息子を捨てようとする。一方息子は、父親が詩人であることを知り、自分なりに言葉の断片を紡ごうとする。こうした親子のディスコミュニケーションを描いたのは、当時まだ30代になったばかりの新人作家でした。その作者A. B.イェホシュア(1936-2022)は後にイスラエルの国民的な作家のひとりとなりました。生前は中東和平などに関してさまざまな発言をし、物議を醸すような人物でしたが、彼の作品は驚くほど繊細です。長編作家として時代を築いた作家ですが、翻訳はこの1冊だけなのが惜しいです。


『あの素晴らしき七年』

エトガル・ケレット著、秋元孝文訳(新潮社)

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 今、世界でもっとも最も知られたイスラエルの作家をあげるならば、ほとんどの人は彼の名を挙げるのではないでしょうか。超短編作家エトガル・ケレットの作品はここ数年でやっと日本語でも読めるようになりました。彼の短編、どれも「ヘンテコ」でおもしろ面白いのですが、エッセイもなかなか秀逸です。というのも、彼のエッセイ、まさにイスラエルの「あるある」なエピソードが満載で、そうした逸話がケレットの独特な視点で書かれています。

 本書は彼の息子が生まれてから、父親が亡くなるまでの7年間にケレットの身の回りで起きた出来事が綴られています。冒頭から、近くで起こったテロによって病院がごった返すなか、妻の出産を待つケレットがテロの被害者と勘違いされ、ジャーナリストに「作家」としてコメントを求められる話。びっくりするようなエピソード、まさに「事実は小説よりも奇なり」です。

 もちろん、ケレットの真骨頂である不条理だけど脱力するような文章は、小説でも遺憾なく発揮されています。嘘をついていたら「嘘の国」に紛れ込んでしまった男の話、撃墜されたパイロットが果物のグアバに転生することを願う話、自殺者のみが集まった死後の世界の物語など、「死」がテーマの話が多いのに、思わず「クスッ」っと笑いが漏れてしまいます。ケレットの世界を堪能したいならば是非、エッセイと短編の両方をお薦めします。


『白い池黒い池: イランのおはなし』

リタ・ジャハーン=フォールズ著、ヴァリ・ミンツィ絵、母袋夏生訳(光村教育図書、絶版)

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 2021年、イスラエルで出版された本の書き手の半数以上が女性となったことがニュースになりました。けれど残念なことに、日本語で読めるイスラエルの女性作家の作品はあまりありません。ただし、日本語になっているイスラエルの文学は児童文学の方が多く、その中には女性作家のものもあります。そこで今回はイランから移民したユダヤ人で人気女性歌手となったリタが、子どもの頃に聞いたイランの民話を元にして書いた絵本を紹介します。

 世界各地で語られる継子いじめの説話の一つ、ペルシア語版「シンデレラ」。美しく聡明な少女シラーズは落とした毛糸を探して訪ねた家で、みすぼらしい老婆に3つの頼み事をされます。散らかり放題の台所をハンマーで叩き壊せ、というような奇妙な願い。その願いの本当の意味をシラーズは「心の声」で聞き、ハンマーを使うことなくきれいに整頓します。帰りに老婆の言われたように池で沐浴をしたシラーズは美しい女性へと変身を遂げました。一方、それを聞いた継子は、老婆の言う通りにして酷い目に遭います。この絵本の原題が「シラーズの心」であるように「正直者が救われる」だけではなく、他人の本当の願い「心の声」を聞くことが大事だと教えてくれる素敵な絵本です。イランの昔話がヘブライ語で綴られ日本語となって私たちの元に届く、この文化混淆の結晶を是非ヴァリ・ミンツィの華やかなイラストとともに楽しんでほしいと思います。


『テルアビブ・オン・ファイア』

サメフ・ゾアビ監督

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© Samsa Film - TS Productions - Lama Films - Films From There - Artémis Productions C623

 和平への道のりは遠く、双方が閉塞感を感じているなか、自身もイスラエルのパレスチナ人である監督が、パレスチナ問題という民族の「悲劇」を、皮肉たっぷりの「喜劇」として昇華させたことこそがこの作品最大の魅力です。

 主人公はイスラエル国籍のパレスチナ人(イスラエル・アラブ人)サラーム。さえない若者サラームは親戚のつてでパレスチナ自治区のテレビ局のドラマ『テルアビブ・オン・ファイア』の制作スタッフとなり、ヘブライ語やユダヤ人役俳優への監修をしています。毎日イスラエルから検問所を通ってヨルダン川西岸に通っていた彼は、ドラマの脚本家と間違われてユダヤ人担当官からあらすじや設定にいちゃもんをつけられるようになります。西岸のテレビ局制作のドラマでしたが、イスラエルでも衛星放送で観ることができ、パレスチナとイスラエル双方で人気が出ていたことが原因でした。

 映画は、検問の通過という占領の実態を描きつつ、本業そっちのけでメロドラマの内容やホンモス/フムス(ひよこ豆のペースト、パレスチナ・イスラエルで国民食とされている)について話すシーンはとても滑稽です。結末には賛否両論あるようですが、私はその破茶滅茶なシーンがよくできたコントのようで気に入りました。皆さんはどう思うでしょうか。 20230403_TBM_08.jpg


細田和江(ほそだ・かずえ)●東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所属。イスラエル/パレスチナにおける周縁的な文化事象に関心があり、文学を中心に研究をおこなっている。翻訳にエトガル・ケレット「たったの十九. 九九シェケル(税、送料込) で」(奥彩子他編『世界の文学・文学の世界』、松籟社収録)、サイイド・カシューア「ヘルツル真夜中に消える」(秋草俊一郎他編『世界文学アンソロジー』、三省堂収録)、論文に「イスラエルの文芸誌『ケシェット』と「地中海」・「中東」への眼差し」(岩波書店『思想』2023年3月号)など。

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