#Creator's Trip
萩原健太郎の南インド旅vol.1
印シリコンバレー、バンガロールの素顔

北欧の建築や家具、日本の民藝などをとおして、世界のライフスタイルに造詣の深いライターの萩原健太郎さん。これまで北国を訪れることの多かった萩原さんが、この春にプライベートで訪れたのが、南インド。いったいどんな旅になったのか。

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photography & text=KENTARO HAGIHARA



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南国の風に誘われて。


大学生のとき、ネパールを旅したことがある。首都カトマンズのストリートは熱気と喧騒に包まれていたけど、時間はゆっくりと流れ、穏やかな時間を過ごしていた。

ちょうどバブルが崩壊したばかりの時期で、カトマンズをはじめ、インドのデリーやバラナシ、タイのバンコクなどの安宿街には、"沈没"という言葉で形容される、長期滞在している日本人旅行者が多くいた。カトマンズはインドから北上してきた旅人に人気で、「ネパールは天国だ」という声がよく聞かれた。インドからやってきた旅人たちに話を聞くと、「だまされた」「ぼったくられた」「下痢が止まらなかった」などはかわいいもので、「ガンジスで遺体が流れているのを見た」なんていう強烈なエピソードも。多少の興味は湧いたけど、そのときは積極的にインドに行きたいとは思わなかった。

大学を卒業後は、北欧を旅することが増えた。インテリアの会社に就職したことがきっかけで、北欧の家具やプロダクトに惹かれたのだ。その後、デンマークで一年ほど暮らして、巨匠の建築を見てまわったり、名作家具が生まれる工房を訪問して、帰国後にフリーランスのライターになってからは、取材と撮影を兼ねて毎年のように北欧へ向かった。"北"への思いは、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーにはじまり、北極圏に位置するノルウェー領のスピッツベルゲン島やアイスランドにまで達した。

これまで"南"への思いは、ほぼ芽生えることがなかったのだが、今春のインド行きは、高校時代の友人の存在が大きかった。大手企業に勤務する友人は、南インドのバンガロール(Bengaluru)に駐在している。バンガロールは"インドのシリコンバレー"と呼ばれ、外資系企業が多く拠点を置いている都市だ。気候的には、標高が高いのでインドのほかの都市に比べて涼しい。さらに友人の家は、プールやジムが完備されたセキュリティー万全の高層マンションで、専属の運転手までいるという。50代での初インドで、デリーやバラナシはつらそうだけど、バンガロールなら余裕だと思ったのだ。

そういうわけで2023年4月、同業者が世界最大規模の家具見本市「ミラノサローネ」が開催されるイタリア・ミラノへ向かうなか、僕はインド・バンガロールへ向けて出発した。

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大都会バンガロールのローカル市場。


バンガロールに到着して、友人と久しぶりの再会を楽しんだ翌朝、運転手と一緒にバンガロールのシティ・マーケットに行ってみた。そこにはIT都市の欠片も感じられない、混沌の日常が繰り広げられていた。運転手からは「貴重品にはくれぐれも気をつけて」と釘を刺され、車を降りた。

降りたのはいいが、どちらの方向へ歩けばいいかわからない。Googleマップを確認しようにも、花籠を頭にのせて忙しなく人が行き来していたり、オートリクシャーのクラクションがけたたましく鳴り響いたり、犬が寝そべっていたり、どうにも居場所がない。また、早朝に観光客は少なく、しかも一眼レフがめずらしいのか、四方から視線を感じる。仕方なく歩き出しても、信号はあるが、人も車も動物も無秩序に横断しているようで、なかなか要領を得ない。蒸し暑さも重なり、すぐに疲弊してしまった。

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早朝から賑わう、バンガロールのシティ・マーケットに到着。

しかし徐々に、視線にも、暑さにも、無秩序にも慣れる。そうなると楽しい。笑顔を向けられるとシャッターを押し、鬱陶しい声がけもスルーし、車とバイクとオートリクシャーが入り乱れる道路も華麗に渡れるようになる。そうして、場所のリズムにシンクロしていくのだ。

バンガロールは"インドでもっともインドらしくない"などと言われるらしいし、目抜き通りのMGロード(Mahatma Gandhi Road)界隈は外資系のブランド店が軒を連ねているけど、それでもやっぱりインドだった。そして、もっとディープな世界をのぞいてみたいと思った。

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果物や香辛料、花、日用雑貨など、さまざまなものが売られている。

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南インドの定食「ミールス」を食べる若者たち。


バンガロールのスラムを歩く。


バンガロールは21世紀に入り、急速な発展を遂げてインフラが整備されたが、その一方で、建設の仕事を求めて地方から出てきた人びとがそのまま住み着き、形成されたスラムが多く存在するという。たしかに今も、街中のいたるところで工事が行われている。駐在している友人が言うには、人口の3割ほどの人が住むエリアしかインフラが整っていないそうだ。シティ・マーケットを歩いたあと、昼食を挟み、運転手に頼んでスラムに向かうことにした。

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スラムのなかのメインストリート。電線が絡みあっているのがわかる。

僕が訪れたのは、バナズワディー(Banaswadi)というわりと大きな駅のすぐそばにあるスラムだった。運転手の導きでスラムの内側に入っていく。テレビなどで強烈なスラムを見聞きしていたせいか、それほど荒んでいないし、匂いもしてこない。それに運転手がインド人ということもあって、余所者としてにらまれたりすることもない。むしろ「写真を撮って」とせがまれるなど、フレンドリーだ。

ただ目を凝らすと、建物が崩れかけていたり、電線が絡まっていたり、牛たちがゴミを漁っていたりする様子を見かける。MGロードや高級デパート〈UB City〉が煌めくほど、スラムの影がより一層濃く感じられる。

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路地をのぞくと、色とりどりの世界と子どもたちの屈託ない笑顔があった。

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少年たちのキラキラした黒い瞳が印象に残る。

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左手に見えるのがBanaswadi駅。ゴミ溜めに集まる牛たち。


インド経営大学院バンガロール校のモダン建築。


IT産業の集積地であり、インドを代表する国際都市にふさわしいビジネススクールが、1973年に開校したインド経営大学院・バンガロール校。学校の名声もさることながら、何よりも僕が惹かれたのが、その美しいキャンパスだ。インターネットで見つけた情報を参考にメールを送ると、すぐに返信があり、見学の許可が出た。

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緑に囲まれたキャンパス。

キャンパスの設計を手がけたのは、バルクリシュナ・ドーシ(1927-2023)。"20世紀の三大建築家"の一人であるル・コルビュジエに師事し、2018年にはインド人としてはじめて建築界のノーベル賞と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞したインドが誇る巨匠である。

警備員の案内により、キャンパスのなかを進むと、多くの緑に囲まれていることがわかる。建物は、ル・コルビュジエの影響が感じられるモダンなつくりであるものの、開放的で、あらゆる場所から光が射し込み、風が吹き抜けていく。先ほどまでの暑さが嘘のようだ。冬の寒さを最優先に考える北欧の建築とは対照的である。建築の材料は石のように見えるが、実はコンクリートが使われている。ただ安藤忠雄などのように表面を仕上げて、凛とした空間を演出するのではなく、煉瓦のように仕上げることで、土着的というか、自然との調和が図られているように思える。

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校舎をつなぐ廊下。

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校舎内にも自然光がふんだんに入る。


避暑地ナンディヒルズで汗を流す。


週末、バンガロールから北へ約60km、友人が休みのたびに通うというナンディヒルズに連れて行ってもらった。事前にワイナリーがあることは知っていたので、優雅にワインでも......と思っていたら、友人の仲間たちと一緒にまさかのトレッキングに付き合うことに(笑)。

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奥に見える石段からトレッキングを開始。

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コースの途中にあらわれた、ヒンドゥー教の知恵と学問の神であるガネーシャ。

コースの途中に祀られている神様に手をあわせたり、眼下に広がる茶色のインドの大地を見遣りながら、どうにかして1,175段の石段を登り切ると、標高1,478mの丘の上には気持ちのいい風が吹いていた。

ちなみに、丘の上までは車で行くこともできるそう(それを先に言ってよ......)。

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頂上から赤土に覆われたデカン高原を望む。

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頂上の奥には、ナンディ(ヒンドゥー教のシヴァ神の愛する雄牛のこと)が祀られた寺院がある。


インドのナパバレー! インドワインの先駆け〈Grover Zampa Vineyards〉へ。


翌週、念願のワイナリー〈Grover Zampa Vineyards(グローバー・ザンパ・ヴィンヤーズ)〉のテイスティング付きツアーに参加することに。道中、ナンディヒルズの麓には、緑が鮮やかな葡萄畑が広がっていた。ワイナリーに到着し、ゲートで予約済みである旨を告げ、敷地内に足を踏み入れると、工場とショップ、立派な庭園にはレストランまであった。今でこそ、ワイン通の間ではインドワインも知られるようになったが、ここまで来るのには多くの苦労があったようだ。

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ナンディヒルズの麓に広がる葡萄畑。

創業者のカンワル・グローバーは、1960年代からハイテク機器などの貿易商を営んでおり、頻繁にフランスに通っていたという。次第にワインへの関心が高まり、ワイナリーを見学するうちに、自分自身でワインをつくりたいという情熱に駆られるようになった。インド各地でワイン用の葡萄をつくることができる土地を探し、1988年、バンガロールの北部を最適な場所と結論づけ、葡萄の栽培とワインの生産を開始。そして4年後の1992年、念願のオリジナルのワインが誕生したのだ。現在では、日本のインド料理店などでも見かけるなど、世界的に評価される存在となった。

もともとインドでは紀元前からワイン造りの歴史があるが、現代において本格的にワインが製造されるようになったのは1980年代に入ってからのこと。それが今や、〈Grover Zampa Vineyards〉においては、世界的な醸造家のミシェル・ロランをコンサルタントに迎えるまでになった。

インドが誇る国際都市バンガロールには、"シリコンバレー"だけでなく、"ナパバレー(カリフォルニア州のワイン産地)"もあるのだ。

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〈Grover Zampa Vineyards〉のエントランス。ワインの試飲にあわせて、美しいガーデンで食事を楽しめる。

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この日のワインの試飲の内容は、スパークリングワイン、白ワイン、赤ワイン、ロゼなど。



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PROFILE
萩原健太郎(はぎはら・けんたろう)●ライター、フォトグラファー。東京・大阪を拠点に、北欧、デザイン、インテリア、手仕事などの領域の執筆・撮影、講演、プロデュースを中心に活動。著書に『暮らしの民藝』(X-Knowledge)、『フィンランドを知るためのキーワード A to Z』(ネコ・パブリッシング)、『ストーリーのある50の名作椅子案内』(スペースシャワーネットワーク)、北欧デザインの巨人たち(ビー・エヌ・エヌ新社)など。
HP:http://www.flighttodenmark.com/

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