北欧の建築や家具、日本の民藝などをとおして、世界のライフスタイルに造詣の深いライターの萩原健太郎さん。これまで北国を訪れることの多かった萩原さんが、この春にプライベートで訪れたのが、南インド。いったいどんな旅になったのか。
photography & text=KENTARO HAGIHARA
はじめてのインドへの旅の拠点は、高校時代の友人が暮らすバンガロールに決めていた。友人の家では一部屋と専用のバスルームを与えてもらえるし、友人の専属の運転手にお願いして行きたい場所へ連れて行ってもらえる。それは快適でとてもありがたいのだが、道に迷ったり、移動に戸惑ったり、そういう苦労というか、旅の醍醐味に欠ける気もした。それでバンガロールのほかに、もう一つ、見知らぬ街に行こうと思った。
いろいろと考えた末に、
チェンナイ(Chennai)に決めた。イギリスの植民地時代の旧称である「マドラス」という言葉の響きに惹かれたこと(ファッションの柄の一つ、「マドラスチェック」の発祥地らしい)、ヒンドゥー教をはじめ、宗教関連の美しい建築がまとまって見られること、広大な海を見たかったこと、美しい絵本で知られる出版社の〈タラブックス〉に行きたかったこと、などが理由だ。
機内から撮影したチェンナイの海岸線。
マリーナビーチで微睡む。
早朝、ホテルの前に停まっていたオートリクシャーに声をかけ、"世界で2番目に長い"や"世界で1番汚い"などの称号をもつ
マリーナビーチを目指した。ちなみにオートリクシャーの車体の色が、バンガロールでは黄と緑のツートンなのに対し、チェンナイでは黄一色というのがおもしろい。おもちゃ屋でミニカーが売っていたので、自分へのおみやげとして購入した。
灯台がある場所で降ろしてもらい、ビーチまで歩くと、色とりどりの屋台やテント、ボートなどが無造作に置かれていた。ごちゃごちゃとしているのだが、圧倒的にビーチが広く、海と空の青のおかげで、ちょうどいい色のアクセントになっていた。
街を歩いていると、オートリクシャーのドライバーによく声をかけられる。英語が喋れない人も多く、スマートフォンのマップで行き先を示しても伝わらないこともしばしばだが、とりあえず走らせながら、周囲のドライバーや道端の人に尋ねながら、どうにかしてたどり着こうとしてくれる。こうしたコミュニケーションは、一人旅のスパイスになると思っているが、煩わしい人は「Uber」などの配車サービスを活用するといいだろう。
男たちはテントのなかで何の話をしているのだろう......?
道端で魚を干している女性。ビーチから道路を隔てた場所には、漁師が多く暮らすノーチクッパムというスラムがある。
ノーチクッパムの集落をのぞく。
ノーチクッパムで出会った人たち。
ビーチにぽつんとたたずむ移動式のアイスクリーム屋。2023年、中国を抜いて人口が世界一になったといわれるインドは、どこにいても人とものにあふれている。その最中にたまたま出会った静的で、ウェス・アンダーソンの映画のワンシーンのような景色。
それぞれの神様がいる場所。
サントメ聖堂/San Thome Basilica
マリーナビーチから少し南下した場所に、ローマカトリックの教会「サントメ聖堂」がある。キリストの十二使徒の一人、聖トマスが布教に訪れて死去した地と伝えられる。16世紀にポルトガル人によって建てられ、後に植民地化したイギリス人によって現在のゴシック様式の建物に再建された。1986年には時のローマ法王も訪れたという。平日の午前中ということもあってか、観光地のような浮ついた雰囲気はなく、聖堂の中では敬虔な信者が祈りを捧げていた。
外も中も真っ白なサントメ聖堂。
カーパーレーシュワラ寺院/Kapaleeshwarar Temple
サントメ聖堂から西へ徒歩10 分ほど歩くと、今度はヒンドゥー教の寺院「カーパーレーシュワラ寺院」がある。13世紀に建てられ、16世紀にビジャヤナガル王国により再建された。ドラヴィダ様式(南インドに見られるヒンドゥー教寺院の建築様式)であり、シヴァ神を祀っている。極彩色のヒンドゥー教の神々の彫像で埋め尽くされたゴープラム(塔門)は必見だ。
ヒンドゥー教の寺院の場合、境内に入る前に履物を脱がないといけないが、カーパーレーシュワラ寺院は人気の観光地なので、靴の紛失には注意が必要だ。履物の預かり所もあるが、そこからつきまとって勝手にガイドを始めて、案内料をせしめようとする輩もいるから気をつけて。
サントメ聖堂からカーパーレーシュワラ寺院へ向かう通りにて。朝からにぎやかだ。
カーパーレーシュワラ寺院の高さ40mのゴープラム(塔門)。
寺院の近くにて。人1人と猫2匹、同じ体勢で朝寝中。のんびり、ほのぼのとしていて、インドにいることを実感する瞬間。
サウザンド・ライツ・モスク/Thousand Lights Mosque
上記の2カ所からは離れるが、チェンナイメトロの
サウザンド・ライト駅の近くに、イスラームのモスク「サウザンド・ライツ・モスク」がある。1810年に建てられたインド国内で最大級のモスクで、名前の通り、ホールを照らすのに千の光が必要とされるという。シーア派のモスクだが、チェンナイのあらゆるムスリムにとって大切な祈りの場所であり、同時に、異教徒や観光客も迎え入れてくれる懐の深さがある。
道路から見たサウザンド・ライツ・モスクの全景。
緑と白のコントラストが美しい。
バンガロールでインドに入国したときに、仏頂面の入国審査官から入念にチェックされて、「感じ悪いなあ......」と思ったものだが、チェンナイは港町として栄えてきたからか、おおらかで寛容な空気が流れていた。
それぞれの神様が仲良くしているように思えるのも、そうした土地柄のせいかもしれない。
タラブックスと南インドのクラフトを求めて。
タラブックス/Tara books
フリーランスのライターとして、20冊以上の著書を重ねてきたが、紙の本を取り巻く現状は年を追うごとに厳しくなっているように感じる。そうした状況で、時代に逆行するかのような本づくりを行っているのが、チェンナイの〈タラブックス〉だ。2017年の東京の板橋区立美術館から始まった展覧会で、その存在を知った人もいるかもしれない。
日本語版もある代表作の『夜の木』は、手漉き紙に、シルクスクリーンで印刷して、一冊ずつ手製で仕上げる。プロダクトというよりも、今ではなかなか見られない"工芸品"ともいうべき絵本だ。今回、工房を訪問することは叶わなかったが、タラブックスのショールームを訪れ、作品の世界観に浸ることができた。
静かな住宅街にあるタラブックス。
ギャラリーのようなショールーム。全商品を20%オフで購入できる。
本づくりの工程で出てしまうミスプリントを表紙に使用したノートの「フルークブック」。「Fluke」は「偶然の、不測の」といった意味。2つとして同じ絵柄はないので、選ぶのに夢中になってしまう。
ザ・パープル・タートルズ/The Purple Turtles
2009年、バンガロールで照明のスタジオとしてオープンした〈The Purple Turtles〉。現在、バンガロールに3店舗、チェンナイに1店舗を構える。取り扱いは、家具から照明器具、リネン、テーブルウェアなどまで。南国らしい色合いとアンティークのような素材感でありながら、同時にモダンさを感じさせる品揃えとコーディネートが特徴だ。
チェンナイの店舗は、セレクトショップ
〈Amethyst〉と同じ敷地にある。〈Amethyst〉内には、カフェ
〈WILD GARDEN〉、ファッションやアクセサリーを扱う
〈UPSTAIRS〉、フラワーショップの
〈Bloom〉もある。表の喧騒から隔絶された邸宅のようなラグジュアリーな空間で、しばしの休息を。
〈Amethyst〉のエントランス。
〈The Purple Turtles〉の店内。
〈The Purple Turtles〉はテーブルウェアも充実。
〈WILD GARDEN〉のカフェでは、店内、テラス、庭園など好きな席を選べる。
カルパ・ドゥルマ/Kalpa Druma
インドの豊かな手工芸品を一堂に見られるショップ。とくにホームテキスタイル、衣類の品揃えが充実している。ほかにも、ジュエリーやアクセサリー、コスメ、オーガニック食品などを扱っている。
〈Kalpa Druma〉の外観。
DATA
地図を見ながら歩き、オートリクシャーの運転手と値段交渉し、周囲を真似て手づかみで食事をした、5日間のチェンナイの滞在は、海外に行き始めた頃の初心を思い出させてくれた。どこかスマートで洗練された北欧と比べ、人間のむき出しの部分に触れられたと思う。ガイドにぼったくられたのは腹がたったけれど、それも含めてインドだなあ、と(笑)。
次の旅先は、もう何度目かの北欧の予定だけど、新鮮な気持ちで、新たな魅力を発見できそうだ。
PROFILE
萩原健太郎(はぎはら・けんたろう)●ライター、フォトグラファー。東京・大阪を拠点に、北欧、デザイン、インテリア、手仕事などの領域の執筆・撮影、講演、プロデュースを中心に活動。著書に『暮らしの民藝』(X-Knowledge)、『フィンランドを知るためのキーワード AtoZ』(ネコ・パブリッシング)、『ストーリーのある50の名作椅子案内』(スペースシャワーネットワーク)、北欧デザインの巨人たち(ビー・エヌ・エヌ新社)など。
HP:
http://www.flighttodenmark.com/