静岡とネパール、油とスパイス
〈てんぷら 成生〉と〈ADI〉が
出合う刻

静岡にある〈てんぷら 成生〉の志村剛生さんと東京のスパイス料理〈ADI〉のアディカリ・カンチャンが、2023年春、静岡で昼夜8席、2日限りの席をもうけた。静岡とネパールの要素が入り交じる異色の組み合わせ。いったいどんな料理が生まれたのか、なぜ〈てんぷら 成生〉と〈ADI〉が出会ったのかーーー。2人に話を訊いた。

text=MAKI TSUGA(TRANSIT)

PROFILE
志村剛生(しむら・たけお)●神奈川生まれ。オーストラリアへ留学した際に和食に興味をもち、料理の世界に入る。静岡・焼津の割烹料理店で修業し、2007年に静岡市鷹匠で〈板前てんぷら成生〉を開業。静岡の地のものを使った天ぷらで、県外からの客も多い。2021年3月に現在の静岡市内の浅間神社に隣接する場所に移転、新生〈てんぷら 成生〉として店を営む。

アディカリ・カンチャン(Adhikari Kanchan)●ネパール・チトワン生まれ。日本の大学に留学、司法書士事務所などに勤務後、飲食業界へ。2019年に間借りカレーの営業をはじめ、2020年にモダンネパールレストラン〈ADI〉を東京・中目黒に開業。オーナーシェフを務める。ネパールのスパイスを活かしつつ、日本の食材に出会い、国境にとらわれない新しい料理で魅了する。


©TOMOHIRO MAZAWA

―――〈てんぷら 成生〉と〈ADI〉という意外にも思える組み合わせですが、そもそもなぜ一緒に料理をしようという話になったのでしょうか?

志村剛生(以下、志村):ほかのお店と料理をすることは頻繁にはやっていなくて、現在の浅間神社の隣にお店を移してからは〈ADI〉のカンちゃんが初めてです。

僕がカンちゃんの料理を最初に食べたのが、2021年に〈ADI〉が静岡市でフードイベントをしたとき。そこでスパイスの印象ががらっと変わったんです。もともとスパイスにはすごく興味があって、自分がやっている天ぷらに対して、スパイスを合わせるとどんなことがおきるのかと考えていたんです。

それまで自分のなかで抱いていたスパイスの印象は激しいイメージ。でもカンちゃんのスパイス料理は、非常にナチュラルで食後感がものすごいよかった。そのときに食べたコース料理は全部新鮮で、カレーやダルスープもいろんな料理があったけど、どの料理もなにしろめちゃくちゃ軽かったんですよ。やっぱりスパイス自体のものが違うのと、合わせるタイミングもあるんだろうなと。それはもうカンちゃんのセンスだし、素晴らしいなと思いました。いろんな料理人がいるけど、カンちゃんは料理のことを本当に考えている人だなとわかったので、一緒に料理したいと思いました。

カンチャン:もともと、志村さんとは静岡の鮮魚店〈サスエ前田魚店〉の前田尚毅さんの縁もあって知り合いました。いい魚を仕入れたいと思っていたときに〈サスエ前田魚店〉に行きついて、静岡に訪れるようになったんです。前田さんは地元のいい魚を最高の状態でお店に届けて、地元の料理店にいい店になってもらって、静岡をよくしていきたいと考えてる人だから、前田さんのまわりにはおもしろい料理人たちが集まってくるんですよね。

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静岡・焼津にある鮮魚店〈サスエ前田鮮魚〉の前田尚毅さん。 ©KEIICHI SAKAKURA

カンチャン:静岡に通うようになったことで、僕は志村さんの〈てんぷら 成生〉で何度か勉強しにいったりもしていました。そのときに料理人の皆さんの姿を見ていて、「天ぷらって、油と小麦粉と食材だけの勝負ではなくて、こんなやり方もあるんだ」というのを体感してとても感動しました。志村さんの天ぷらを見ていると、揚げ物のイメージが変わるんです。油の温度だったりとか、揚げているときの音だったり、いろんな感覚が引き出される。

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〈てんぷら 成生〉の志村剛生さん。 ©MOECO YAMAZAKI

―――2人で一緒に料理しようという話になって、準備期間はどれだけあったんでしょうか?

志村&カンチャン:全然ありませんでした(笑)。

カンチャン:会の日にちは決めて、基本的な流れだけは2人で決めていましたが、結局は当日にならないと食材が決まらないので、打ち合わせのしようがないんですよね。自然との勝負でした。

志村:ふだんの〈てんぷら 成生〉にもいえるのですが、柔軟に動けるように頭を柔らかくしておかないと対応できない。私としてはこの2日間はカンちゃんと一緒に厨房に立っていたので、逆に心強かったですよ。「自分が(食材に)火を入れれば、カンちゃんならなんとかしてくれるんだろう」と構えていました。


―――実際のところ、昼と夜のコースの料理が決まったのは、開店の何時間前だったのでしょうか?

志村:あの2日間、本当に料理が決まったのはスタートと同時。手を動かしながら、そこで料理が決まっていった感じでしたね。

カンチャン:お客様の反応を見ながら変えることもあるので、その場、その瞬間がすべて。アーティストのライブみたいに即興で会ができあがっていく感じでした。たとえばコンサートをすると、お客さんの拍手を聞いて音楽を演奏するほうもモチベーションが上がって、また違う曲を出したりするじゃないですか。そんな感じなんです。食材もそうだし、お客さんもそうだし、料理をする自分たちもそうだし。すべてのバランスを見ながら、そのときそのときで決まる感じでした。

2021年頃から僕も前田さんから魚を仕入れていて、その日その日で前田さんからいただく魚が全然違うので、それに合わせてメニューを考えるようになった。この1、2年ぐらいでそのやり方に慣れたというのはありますね。

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©MOECO YAMAZAKI

―――2人の会では、どんな料理が提供されたんでしょうか?

志村:通常、〈てんぷら 成生〉のコース料理では15、16品を出していますが、〈ADI〉の席では10品ほどで構成しました。その日の食材とタイミングで提供していたので、仕込みはあまりせずに即興で料理を決めていきました。

2日間、昼夜ともに出したのは甘鯛と河豚とヤギ。あと猗窩座海老(アカザエビ)はネパール料理のパニプリで使いました。水深300mほどの深海で捕れるエビです。このエビをフレッシュな状態で仕入れられるのは駿河湾ならではですね。

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©MOECO YAMAZAKI

志村:このパニプリにしてもそうですが、カンちゃんから「こういう料理をしたいからこんな食材が欲しいんだけど」っていうリクエストがあって、当日にうちが用意できる食材から近いものを提案してみたり、逆に私から「料理にこういうニュアンスが欲しいんだよ」というところに、カンちゃんが即興でスパイスで合わせたり。そこが2人で料理をしていて一番楽しいところでしたね。

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©MOECO YAMAZAKI

―――〈てんぷら 成生〉では、静岡産の海のもの、山のもの、畑のものを使って天ぷらを提供していると思うのですが、ヤギというのは新鮮ですね。

志村:ヤギはこれまでうちでは揚げたことはないですね。〈ADI〉のカンちゃんと組んだからこその試みでした。柔らかい火入れをして、臭みがまったくなくて、すごく優しい味わいの一品でしたよ。

カンチャン:実はヤギも静岡産なんですよ。日本だと沖縄では日常的に食べられていますが、なかなか本土でいいヤギを仕入れるのが難しいんです。ネパールではヤギをよく食べるので、日本でも仕入れたいなと思って全国を探していて静岡にたどり着いたんです。〈ADI〉でもこの静岡のヤギを使って料理しているんですよ。

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©MOECO YAMAZAKI

カンチャン:この会ではタコスのようにヤギを出しました。お米を炊く釜戸でチャパティを焼いて、その上に志村さんが揚げたヤギに私がつくったソースをかけた一品です。ネパールでヤギを食べるときは、スパイスで肉をマリネして味が滲みるまで置いてから焼くんですよ。スパイスはコリアンダーをメインに、山椒、フェンネル、マスタード、クローブ、それにヨーグルトも少し使いました。ネパール流にやるとヤギは焼くことしかしないんですが、それを志村さんに預けると全然違うものが生まれる。志村さんは焼く感覚で揚げることができるので、同じ食材でも火入れが違うだけでまったく別の料理になるんですよね。

志村:あとは静岡在来種のあさはた蓮根も使いました。 通常よく見かけるレンコンは明治期に日本に入ってきた種類なんですけど、静岡在来のレンコンは徳川家康が好んで食べたともいわれるぐらい歴史が古いんです。それに静岡産のアスパラも使いました。

静岡は近い距離でいい食材が揃うんですよね。だからギリギリまで仕入れをして、そのタイミングのものをっていうのが楽しめるところです。いきなり食材が変更になるからカンちゃんは大変だったと思いますが。それでもカンちゃんは、その場で食材とスパイスをガッと合わせてくれるようなライブ感でどんどんやってくれましたね。

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©MOECO YAMAZAKI

―――1日目と2日目、昼と夜でも違うメニューが味わえたわけですね。お二人のなかでとくに印象に残っている料理はありますか?

志村:全部すごかったけど、スパイス使いでとくに印象深かったのは虎河豚。スパイスを入れた大きな器を用意しておいて、私が揚げた虎河豚の天ぷらを、カンちゃんがスパイスに埋もれさせる。それで宝探しみたいに粉の中に隠れた虎河豚を取り出して、手渡しっていうスタイルを取ったんです。天ぷらの衣は、油から取り出されると外の香りを吸う習性がある。その性質を生かしてスパイスの中に一瞬埋めるだけで、香りを一気に吸着していくんです。

このときの山椒がよく効いていた。僕らはふだんから日本や中国、いろいろな山椒を使うんですけど、カンちゃんが使ったネパールの山椒はもっとフルーティーで南国の花の香りのするものでした。カンちゃん、フグには山椒以外にほかにどんなスパイスが入っていたんだろう?

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©MOECO YAMAZAKI

カンチャン:あとは唐辛子とマスタードシードですね。スパイスにくぐらせて粉を払っても全部は落ちないので、虎河豚と一緒にスパイスも食べる感じなんですよね。

志村:高菜を発酵させたネパールの乾物、グンドゥルックもおもしろかった。山岳地帯の乾物って奥が深いなと思いました。大徳寺納豆の香りに似ていて、味は塩気を引いた優しい味わい。それをスープに入れたんですけど、非常に新鮮でしたね。グンドゥルックを油で一度緩やかに加熱して香りを出してから、スープに入れるという調理法をとりました。

あとは百合根ですね。時間をかけてクロワッサンを焼き上げるような感覚で揚げた百合根に、カンちゃんが水牛のミルクの上澄みでつくったギーと、フェヌグリーク、カルダモン、シナモンを加えたソースをかける。そこにそのスパイスを合わせてくるというのはあまりない発想だったので、素晴らしいと思いました。

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©MOECO YAMAZAKI

カンチャン:日本でギーというと、カレーをつくるときに油代わりにフライパンに入れてそこにスパイスを入れて使うイメージがあるかもしれませんが、ネパールでは火を通したギーをお米にかけて食べることもあるんです。

志村:ギー自体も、ものすごく新鮮でしたね。ふだんうちで天ぷらを揚げるときは、臭みのない太白ゴマ油を使っているんですが、ギーだとアクセントになる。私は今でもお店でやってますからね(笑)。


―――一回限りのイベントで終わるのではなく、通常のメニューにも反映されているものもあるんですね。

志村:そうですね。今でもスパイスを使ってみたり、スープに高菜を使うこともあります。

カンチャン:僕も最近、お店のコース料理の一品は天ぷらの感覚でやります。今日も太刀魚をいただいたので、揚げようかなと思っていました(笑)。太刀魚といえば、〈てんぷら 成生〉の一品目に出されることもある食材ですが......。

志村:時期にもよりますが、最初に太刀魚を出すこともありますね。太刀魚は静岡で一番食べられる魚なんです。江戸前の天ぷらではエビからスタートするのが基本なので、最初に太刀魚が出てきたら「なんだ太刀魚か」と感じる人も多いと思うんですね。でも非常にいい状態で処理された魚はまったく別のものになる。ちゃんと素材と向き合ったときに、同じスケールを我々がとる必要はない。私の店で太刀魚ではじめるのは、その挨拶代わりっていう意味もあるんです。

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©MOECO YAMAZAKI

―――揚げるということにしても、スパイスにしても、新しい地平を見せてくれるような会だったのですね。

志村:この席では、私は天ぷらをつくるというよりもカンちゃんの料理の火入れ媒体として使ってくれって言ったんですよ。天ぷらを揚げた後に、その衣を剥いて素材だけで出しても構わないとも伝えました。天ぷらの火入れって、蒸す、焼く、揚げる、脱水っていうのがすべて同時でいろんなことができるんです。

天ぷらはお塩で食べたり、天つゆで食べたりとか、お醤油かけたり、柑橘をちょっと足すとか、そういった味わい方が基本にある。もちろんそれはシンプルで十分においしいんですけど、そこにカンちゃんのスパイスが入ることで、可能性が非常に広がるんですよね。やっぱり油とスパイスは相性がいいですからね。

カンチャン:昼、夜を2日間なので、4回の席を志村さんと一緒につくっていったんですが、回を重ねるごとに料理をとおしてお互いのことがわかっていくんですよね。ふだんは別々にお店をやっていても、一緒に文化を積み重ねていける感覚があって、それが嬉しかったですね。

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©MOECO YAMAZAKI


静岡とネパール、海と山文化の異色な出合いが生んだ料理の数々。その後もつづく2つの道がまた重なることを期待しつつ、それぞれのお店を訪れてみるのもいいかもしれないーーー。

INFORMATION
●てんぷら 成生(てんぷら なるせ)
住所:静岡県静岡市葵区丸山町12-2
営業時間:12:00〜、18:00〜
定休日:土曜、不定休
電話:054-295-7791
座席数:カウンター8席
*完全予約制。下記サイトから予約。
https://omakase.in/r/vb666829

●ADI(あでぃ)
住所:東京都目黒区上目黒2-46-7
営業時間:12:00〜、18:00〜、19:30〜
定休日:月・火曜
*完全予約制。下記サイトから予約。
https://www.tablecheck.com/en/shops/adi-tokyo/reserve

HP:www.adi-tokyo.com
Instagram:@adi_tokyo

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