1964年5月27日、インド連邦の初代首相ジャワハルラール・ネルー氏がニューデリーで息を引き取りました。
全インド国民協議会に出席するネルー(左)とガンディー(右)©︎Public Domain
ネルーはイギリスに渡り、弁護士資格を取得。帰郷後間もなくインド独立運動に身を捧げ、マハトマ・ガンディーらとともにイギリスからの独立運動を指導するようになります。
普通選挙制を導入し、インドを世界最大の民主主義国家に仕立て上げたネルー首相。いまもなお評価される彼の偉大な功績の一つ、チャンディーガル市の都市計画をご紹介します。
©︎harpreet singh
平和や和解、人々の団結を表すオープンハンド・モニュメント ©︎Raakesh Blokhra
1947年のインド・パキスタン分裂により、東パンジャーブ州は、パキスタン側に編入されたラホールに代わる新たな州都を必要としていました。
そこでネルーは新州都・チャンディーガル市の建設を決定。伝統にとらわれない現代的な都市にすることを目指し、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエやピエール・ジャンヌレなど世界的建築家たちに都市計画を依頼しました。
立法議会、ル・コルビュジエ設計 ©︎duncid
パンジャーブ大学構内のガンディー・バワン(マハトマ・ガンディー記念館)、ピエール・ジャンヌレ設計 ©︎Aleksandr Zykov
2016年に世界遺産に登録され、いまでも理想的な都市計画としてその歴史的価値が認められているチャンディーガルの都市構造。
その一端を担ったのが、ル・コルビュジエの従兄弟、ピエール・ジャンヌレでした。
ピエール・ジャンヌレとル・コルビュジエ、チャンディーガルにて ©︎Public Domain
チャンディーガル都市計画といえば、ル・コルビュジエの建築群が注目されがちですが、彼がこの都市計画を引き受ける条件としたのが、ピエール・ジャンヌレを現場監督として起用すること。
建築内部で使われる家具はピエール・ジャンヌレが中心となってデザインされましたが、都市計画が始まって40年近く、チャンディーガルの家具が世に知られる事はありませんでした。一時は老朽化から薪の材料にされる事態まで陥ったものの、次第に世界中の美術館がコレクションを開始。現在ではインド政府が文化財として保護しています。
モダニズム建築の理念を都市規模で実現した、20世紀の建築史における重要な都市計画、チャンディーガル市。近代国家としての歩みを辿りながら、「インドのモダニズム」に触れる旅はいかがでしょう。
高等裁判所の内部©️Aleksandr Zykov