#Creator's Trip by 在本彌生
クリミアから来たカライム人と湖畔の城
in リトアニア・トラカイ

世界各地を旅して、美しいもの、奇妙なものを撮影する写真家の在本彌生さん。この冬訪れたのはヨーロッパ北東部に位置するバルト三国のひとつ、リトアニア。さてこの旅で何を見つけてきてくれたのだろうか。ここでは、首都ビリニュスを抜け出して湖畔の街・トラカイを旅した話をどうぞ。

photography & text = YAYOI ARIMOTO

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ヨーロッパの北のほうに「バルト三国」と呼ばれる国々があることや、リトアニアがそのひとつであることを知ったのは、中学校の地理の授業でのこと。北から順に「エストニア、ラトビア、リトアニア」と韻を踏んで呪文のように暗記したのを記憶していている。

何故そのバルト三国がほかの「ソビエト連邦」の国々と区別された呼び名をもっているのか、三国とロシアの間にある因縁についてあのときに知れたなら、地理にも世界史にも当時もっと興味が湧いたのではないだろうか。

1989年8月、当時大学生になったばかりだった私は、バルト三国が「人間の鎖」をもって旧ソ連からの独立を訴えたその大きな出来事を、テレビのニュース中継で観た。人びとがエストニア、ラトビア、リトアニアの三国にわたって600kmもの距離で手を繋ぎ、非暴力で独立の意思を訴えていた。大袈裟ではなく時代が動いていることをテレビを通じて目の当たりにし、世界の向こうで起きている大きな変革に心動かされた。そのことは今もはっきりと覚えている。自分の立場や場所とはあまりにも違う出来事が同時にこの世界で起きていることの不可思議と、日本に暮らす私の存在のとてつもない軽さ、それがあの映像をみたときの感触として残っている。その後ほどなくしてバルト三国は旧ソ連からついに独立を果たした。切望した自由を得てから今や30年以上が経ち、三国それぞれが個性を発揮しつつ見事な発展を遂げている。

2014年にTRANSITの『ロシアとバルトの国々』号の取材のため、初めてリトアニアでの撮影の機会を得て以来、リトアニアには複数回訪れていたが、コロナ禍をはさみ4年ぶりに再訪した彼の地で、人びとの声を聞き、変化しながらも継承されている文化や風土に注目し各地を歩いた。

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トラカイの街に「カライム人」と呼ばれる人びとが14世紀末から住んでいると聞いて、その小さなコミュニティに興味を惹かれた。ヴィタウタス大公にクリミア半島から呼び寄せられ移住してきたというカライム人たち。その末裔が今も独特な文化や風習を継承しているという。

リトアニアの首都ビリニュスから西へほんの30kmほどのところに、湖畔の街・トラカイがある。アクセスがよいこともあり、リトアニア国内でも都市部で暮らす人びとにとって人気のリゾート地だ。絵本に出てくるような煉瓦造りの城がぽっかりと湖に浮かぶ、爽やかな広い空と緑と水の織りなす風景......ガイドブックにあるトラカイのそんなイメージはあまりにフォトジェニック過ぎるように見えたりもするのだが、それもそのはず。現存する城はそれほど古いわけではない。20世紀後半に再建され、美しかった当時のルネッサンス様式の姿を取り戻したのだそうだ。

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もともとあった城は15世紀のリトアニアの最盛期を築いたヴィタウタス大公により、14世紀後半にこの地に建てられた。14世紀終わり、当時勢力を強めていたリトアニアのヴィタウタス大公は幾度もクリミアに遠征している。その際に現地で出会った勇敢な民がカライム人たちだった。彼らの兵士としての技量を高く評価したヴィタウタス大公は、カライム人たちを傭兵として雇い、トラカイの城(兼要塞)の周辺に移住させた。その数は380家族に及んだといわれている。こうしてクリミアから遠く離れたトラカイに、カライム人たちのコミュニティが形成され定着していった。

一方、城は17世紀には戦で大きなダメージを被った。リトアニア大公国がポーランド王国との連合共和国になったのちには廃墟と化し、そのまま放置されていた。20世紀の2度にわたる世界大戦の後、復元にようやく着手できたのが1951年。そこから数十年の再建作業を経て、今の麗しい姿で復活したということだ。破壊され打ち捨てられながらも再建された城のありようは、リトアニアという国が歩んできた紆余曲折、自由を手にするまで困難の多かった歴史がそのままトレースされているかのよう。そう思うとこの城を見る眼が変わり、トラカイという街への関心が広がった。

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©Visit Trakai

興味深いのは、カライム人たちが移住後も信仰の自由を与えられたり、独自の文化を守ることを認められるなど、移民としては好条件を与えられ、ある種、特権階級として暮らしたことだ。彼らは兵士として忠誠を尽くしていたし、その力量が評価されていたこともその理由なのだろう。

カライム人はトュルク系の民族で、ユダヤ教の一宗派のカライ派を信仰している......こう聞くと、頭の中にクエスチョンマークが浮かんできてしまう。トゥルク系というと、トルコ、ウズベキスタンのようなイスラーム教の人びとがまず思い浮かぶし、カライ派というのもまた耳慣れないフレーズだ。

それにしても、至極小さなカライム人のコミュニティが、少人数(300人余りといわれている)ながら、今も先祖が定住したこのトラカイで暮らし独自の文化を継承し生きつづけているとは、なんと素晴らしいことだろう。さらに驚いたことに、第二次世界大戦時、「ユダヤ教の一宗派」を信仰するカライム人たちは、ナチスからトルコ人とみなされたためユダヤ人迫害を逃れられた。そのうえ、他所から逃げてきたユダヤ人を匿い助けたという。

なんとも重要な使命と運命をもってこの土地に移り住むことになった民、それがカライム人なのだ。彼らはこの土地に真の意味で馴染み親しみ、社会や地域にも受け入れられつづけている。その証ともいえる場所がトカライ派の礼拝所「キエネサ」だ。トラカイにあるキエネサは18世紀に建てられ、第二次世界大戦後もヨーロッパで唯一閉鎖をまぬがれ、今も現役の礼拝所として人びとを迎えている。

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食を通してカライム人の文化を垣間見るのもまた、美味しく楽しい体験だ。城のある小島から橋を渡って出たカライム通りには、カライム料理を提供するレストランが何軒かある。その中の一軒〈KYBYNLAR(キビンラール)〉で、代表的な名物料理の「キビナイ」をつくって食してみた。

キビナイは半月型をしたミートパイのようなもので、適度な油分を含んださっくりとした生地の中に、サイコロ大に小さく切った羊肉と粗微塵切りしたタマネギをあっさりと塩で炒めた具が詰まっている。大きさは手のひらに乗るくらいのもので、一般的な餃子よりも大きく、クリームパンよりも少し小さいというところ。

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丸く平たく直径15cmほどに伸ばした生地の半分に具を乗せ、もう半分の生地を具に被せ、縁に水をつけ、端から半月形に口を塞ぐ。ここまでは比較的簡単だ。この先のプロセスが少し凝っていて、塞いだ口を今度は少しずつ斜め内側へ折り返し、ロープを模るように編み模様をつくり半周させる。これがなかなか地元の人のようには綺麗に作れないもので、少し練習が必要そうだ。最後に、表面に指で小さな穴をふたつ開けたらオーブンへ。こんがり焼き上がったらできたてを食べさせてもらえる。

もちろん自分でつくったものを自己責任でいただくのだが、形はともかく、生地のサクサクとした食感と、ジューシーな肉餡がマッチしてとても美味しいものだった。過剰にオイリーなこともなく、また塩味も控えめながらしっかりと肉の旨みを引き出す力を発揮している、絶妙なバランスだ。

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キビナイをつくりながら頭に浮かんでいたのは、この料理が非常にユニバーサルな存在であるということ。地続きとはいえ、遠く離れた土地から移り住んだ異民族の人びとがもたらした、当時は珍しい料理であったであろうこのキビナイだか、世界地図と食文化地図を重ねてみると、「生地で具を包んで加熱する」調理法は世界各地で散見され「美味しいもの」の象徴のように見える。

中華圏の肉饅頭や餃子、ロシアや中央アジアのピロシキ、トルコのクイマル・コル・ボレイ、イタリアのラビオリ、さらに海を超え南米大陸アルゼンチンのエンパナーダやブラジルのパステウなど......形や調理法が変化しているとはいえ、何かを包み込んで「美味しい」をかたちにする発想が緩やかに世界を繋いでいることが、トラカイでもまたひとつ証明された!キビナイを頬張りながらそんな小さな発見にひとり喜びを感じていた。

勇敢な国際人のカライムの人びとがリトアニアにもたらした「包む美味しさ」のかたち、キビナイは、今も確かにこの国の人びとに親しまれ愛されつづけている。

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PROFILE
在本彌生(ありもと・やよい)●元アリタリア航空CA。あるとき乗客の勧めで写真と出合い、就航先の国やその周辺を中心に、さまざまな被写体を撮りはじめる。個展をきっかけに本格的に活動を開始し、2006年写真家として独立。現在も世界中を飛び回っている。
Instagram @yoyomarch

thanks
リトアニア政府観光局
HP https://lithuania.travel/jp
Instagram @lithuania.travel.jp

LOTポーランド航空
HP https://www.lot.com/jp/ja

Visit Trakai
HP https://www.trakai-visit.lt/en/




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