#Creator's Trip by 在本彌生
リトアニアの人びととその歌声
in リトアニア

世界各地を旅して、美しいもの、奇妙なものを撮影する写真家の在本彌生さん。これは幾度か訪れているバルト三国・リトアニアへの旅の話。リトアニアの人びとのことで思い出に残っているのは、彼らの歌声だというーーー。

photography & text = YAYOI ARIMOTO

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はじめてのリトアニアへの旅は、まさに手探りだった。私にとってのリトアニアの印象を決定づけたのは、ヴィリニュスで生きる女性たち。彼女たちとの偶然の出会いだったと思う。

『TRANSIT 27号 美しきロシアとバルトの国々』の中で、「バルトの女たち」を取材すべく、2014年冬、ラトビアのリーガからひとり長距離バスに乗って、リトアニアの首都ヴィリニュスにたどり着いた。

実のところその時点ではヴィリニュスの女性たちを取材する何の伝手もなく知り合いもいなかったので、先ずは旧市街にある1579年創設、美しい校舎と古書室で知られる名門校のヴィリニュス大学を目指してみた。
校内に入ると、ブラスバンドの学生たちが楽器を傍にティーブレイクしている一方で、ベンチの端っこに座って携帯電話で誰かと真剣な話し合いをしながら涙ぐんでいる女の子もいたり......どこの国の学校にもあるような光景が風格あるキャンパスに広がっていた。声をかけた学生の皆が喜んで写真に撮られることを受け入れてくれて、内心ほっとしたのを覚えている。会話をし始めると、私からの将来に関する希望などという質問に真面目に答えてくれる率直さが印象に残った。

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午後になって、街の東側にある「ウジュピス共和国」と言われるエリアを歩いてみた。
ここは非承認の共和国とはいえ独自の憲法まであるという、アーティストたちが多く住むエリア。おもしろい人に出会えるに違いないと期待しつつやってきた。洒落たつくりのヘアサロンをみつけ、ウィンドウから店の中を覗いていると、髪を切ってもらっている女の子が、こっちに来なよと鏡越しに手招きしてきた。気負いせずに入っていくと、昨日会った友だちみたいな調子で気さくに会話が始まった。彼女はルナ、ミュージシャンだ。旅から旅の生活らしく、その日は束の間の本拠地でのオフだった。服やヘアスタイルはボヘミアンを決め込んでいる。

私が日本から来たと知ると「スギハラとマンガの国だね、ヴィリニュスにスギハラ通りがあるよ」と教えてくれた。「ウジュピシュでは友だちふたりとルームシェアしているの、部屋はすぐそこ。友だちも紹介したいから、よかったらおしゃべりの続きをしに来ない?」嬉しい誘いを頂いて、喜んで彼女の住む部屋を訪ねていった。

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カウナスにある旧日本領事館を改装した杉原記念館。第二次世界大戦中にリトアニア・カウナス日本領事館領事代理を務めていた杉原千畝がユダヤ難民に対してビザを2000枚超も発給し、6000人以上の命を救ったといわれている。

中庭のある平屋建ての長細いフラットは、日本でいうなら昔ながらの横丁の長屋といった風情、煉瓦造りの外観が可愛らしい。ルナが扉を開けると、部屋で待っていたのは学生のマリヤだった。ゆるくまとめたライトブラウンの長い髪に水色の瞳、彼女は芸術学校で染色と織物を専攻しているという。「どうぞ入って」にこやかに促され、「ハーブティーだけど、いいかな?」そう言いながら、マリヤがお茶を淹れてくれる。暖かい部屋の中に、爽やかな香りが湯気と一緒に立ちのぼった。ハーブティーが出てくるなんて随分洒落ているなとそのときは思ったが、ここではお茶といえばハーブティーという感じらしい。茶葉からもコーヒービーンズからも遠いということか。どんな部屋で彼女たちが暮らしているのか気になった私は、図々しくもあちこちを眺めまわした。ふたりは木目のフロアにぺたんと腰を下ろして座っていて、クッションを敷いて足を投げ出したりあぐらをかいたり、気楽でアジアのゲストハウスみたいな雰囲気なのがおもしろい。

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マリヤの部屋の扉にはポストカードがピンナップされていて、青やピンクや淡い紫で銀河のようなものが描かれていた。「これは誰の絵なの?」そう聞くと「チュルリョーニスだよ、わたしたちの英雄」マリヤがそう答えた。ミカロユス・チュルリョーニス、1875年生まれのリトアニアを代表する音楽家、画家だ。この旅でリトアニア第二の都市・カウナスにある国立チュルリョーニス美術館を尋ねるのを楽しみにしていたので、彼女たちの部屋でひと足先にこの絵と対面したことがうれしかった。マリヤのような若い世代にもチュルリョーニスの作品や魂が支持されているなんて素敵なことではないか。

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カウナスにある国立チュルリョーニス美術館で。

しばらくするともうひとりのルームメイトの男の子が犬と一緒に帰ってきた。「こんにちは!よく来たね」そう言って彼がウクレレを弾き始め、マリヤがその音に誘われるように歌い始めた。少しハスキーな声がなんとも優しく伸びやかで、彼女からしたらちょっと口ずさんだ程度だったかもしれないが、胸にじわりと沁み渡る、不思議なちからをもった歌声だった。この国にはこんなに歌のうまい人が普通にいるのかと少し驚いた。そこに音楽を生業にしているルナの声が重なったときには、このうえなく幸せな音のハーモニーが部屋を包み込んだ。あれは何の曲だったのだろう、リトアニア語で歌っていたあの曲。この国に初めて着いたその日から、私は歌声の洗礼を受けた。  

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リトアニアでは4年に一度「歌の祭典」が開かれている。国内最大の行事で今年2024年はその開催年(6月29日から7月6日まで)にあたり、100周年という記念すべき回だ。幸運にも2018年の最終日に私はこの祭りを体験しているのだが、これが、ただの祭りではなかった。

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人間の声の海に全身を漂わせる、そんな現実ばなれしたことがそこで起きていた。雄大な声のエネルギーを全方向から受け止めるはじめての感覚だった。ビルニュスのヴェンギオ公園、野外ステージ会場に集まる人びとの悦びに満ちた明るい表情、歌声を全身に浴び、幾重にもかさなった声の波の中を漂うような感覚は、今までに体験したことのないものだった。1万人以上の人が集まって歌うのだからその迫力は半端なものではない。ステージに上がっている人も、ピクニックシートに座りながらステージを見ている観客も、みんなが歌っている、微笑んでいる、なんとも言えない多幸感に包まれている。「歌声には力がある」それを再確認するのがこの歌の祭典だ。誇りに満ちて幸せな表情を讃えたこの日のリトアニアの人びとがとても眩しかった。

歌とリトアニアの切っても切れない関係を体験した私にとって、帰国後に観た映画『ミスター・ランズベルギス』(セルゲイ・ロズニツァ監督/2021年製作)は、特別なインパクトを残した。下高井戸シネマのロズニツァ監督特集上映週間での再上映で劇場鑑賞の機会を得た。

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この作品の主人公は、ソ連からのリトアニア独立(1991年)を率いた当時の国家議会議長のヴィータウタス・ランズベルギス氏、そしてリトアニアの民衆だ。映画は現在90歳を超えた彼への長いインタビューと当時の記録映像で構成されている。ランズベルギス氏はリトアニアをソ連からの独立に導いた人物。彼の語り口、言葉の選び方や佇まいから伝わってくるのは、知性と粘り強さと飾らない人柄、そして品格だ。芸術運動「フルクサス」にも参加するような音楽家(前出のチュルリョーニスの研究者でもある)だったランズベルギス氏が、長くつづいたソ連時代、国家独立を目指す政治団体「サユディス」のリーダーに、そして国家議会議長になる。ランズベルギス氏と民衆の独立への歩みを、記録映像の巧みな編集をもって、自分までも当時を伴走したかのような臨場感をもって観た。もうひとつ言うならば、ペレストロイカとゴルバチョフへの今までの誤解に気づいたことにも意味があった。

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1989年に「人間の鎖」運動がおこなわれた場所には、リトアニア国旗の色のモニュメントがあった。1991年、リトアニアのヴィリニュスにソ連が軍事侵攻して独立運動を妨害した「血の日曜日」の現場には、破壊されたコンクリートの壁が今も残されている。

武器を持たずに独立を勝ち取ろう、そのリトアニアの民衆の意思は何をもっても揺るがなかった。89年から91年当時のアーカイブ映像で繰り返し映し出された民衆の静かながら訴えかけるような眼差し、表情、それらが「ソ連からの独立」というひとつの望みに向けられている様子。もっとも平和的な方法で望みを貫こうという信念を見る。

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民衆が願いを込めて歌う姿が幾度となく重要なシーンとして登場する。集会(「歌の祭典」が開催されるヴェンギオ公園での当時の集会の様子も登場する)に集まる人びとが、合唱歌「いとしいリトアニア」を声を重ねて歌う場面もあった。BGMのないこの映画において、民衆の歌は強い説得力をもって観るものに訴えかけてくる。武器ではなく「歌声」と自由への願いで独立の意思を訴えつづけるリトアニアの精神に心動かされた。  

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人が当たり前にもち得るはずの「自由」のある人生、その得難さ、尊さを、リトアニアの人びとはこれまでの国の歩みを通して体感している。精神的な豊かさ、真の意味での心のゆとりを彼らに感じるのは、生きる上で大切にしなくてはいけないことを身をもって知っているからなのだろう。だからリトアニアでの旅では、出会う人それぞれのありように感心してしまう。私はこの旅でもそれを感じ取りにいったのかもしれない。

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PROFILE
在本彌生(ありもと・やよい)●元アリタリア航空CA。あるとき乗客の勧めで写真と出合い、就航先の国やその周辺を中心に、さまざまな被写体を撮りはじめる。個展をきっかけに本格的に活動を開始し、2006年写真家として独立。現在も世界中を飛び回っている。
Instagram|@yoyomarch

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