1989年、6カ国6名の冒険家たちが南極大陸を犬ぞりで横断するかつてない冒険がありました。氷点下50℃の地吹雪のなか、約6,040kmの道のりをゆく約7カ月間の旅。その冒険をいま改めて振り返り、当時のメッセージを次世代へ繋げるイベント「THINK SOUTH FOR THE NEXT 2022」が2022年12月に開催されました。主催は、当時の南極の冒険でテントやウェアといったギアを提供していた〈THE NORTH FACE〉を展開する株式会社ゴールドウインと株式会社DACホールディングス。

地球上で唯一国境をもたない南極大陸で、犬ぞりの横断に挑んだ6カ国6名の冒険家たち。彼らが抱いていた「チャレンジスピリット」「平和」「環境」の3つの精神に焦点を絞り、それぞれ異なるフィールドで活動している人たちを招いて、3部構成のトークイベントと1989年の南極旅のドキュメンタリー映画『Trans-Antarctica Expedition』の上映が行われました。

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「平和編」では、文化人類学者の松村圭一郎さんと写真家の石川直樹さんが対談。平和、戦争、そして国境線についてーー。トークイベントの様子をお届けします。


ほかの対談はこちら
>>チャレンジスピリット編/ドミニク・チェン×村上祐資
>>環境編/露木しいな×SHIMOKITA COLLEGE

photography=MOMOKA OMOTE
design=YUMA TOBISHIMA(ampersands)
illustration=ATSUYA YAMAZAKI
edit & text=MAKI TSUGA(TRANSIT)



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―――本日は映画の上映前に「平和」をテーマにトークイベントを行います。2022年にはじまったロシアのウクライナ侵攻は現在もつづいていますし、世界各地で戦争が起こっています。日本で生活していると戦争や平和という言葉は遠い国や歴史の出来事のように感じられるかもしれませんが、松村さんがフィールドワークで訪れているエチオピアや、石川さんが過去に訪ねたアフガニスタンやパレスチナはときによっては戦地にもなってきました。本日はそんなふたりにとっての平和について語っていただきたいと思います。

松村圭一郎(以下、松村) : 日本で暮らしていると、第二次世界大戦後に生まれた人たちは「戦争を知らない世代」と呼ばれたり、大戦以降の日本が「平和ボケ」といわれたり、戦争を身近に感じる機会がないのが現実だと思います。

一方で、私がフィールドワークで通ってきたエチオピアでは、知っている人が戦争に巻き込まれ、親しんだ場所が戦地になった経験もある。石川さんも世界中を旅してこられて、戦争を身近に感じる機会があったと思いますが、いかがですか?

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)●岡山大学文学部准教授。文化人類学を専門とし、エチオピア、中東、瀬戸内でフィールドワークを行う。富の所有と分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。『うしろめたさの人類学』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。ほかに『くらしのアナキズム』『はみだしの人類学』『所有と分配の人類学』など。

石川直樹(以下、石川) : 2022年はヒマラヤの山々に登るために、ずっとネパールとパキスタンを往復していました。そこは戦地ではないですが、パキスタンにはまだ物騒な場所が残っていて、ナンガ・パルバットという山に行ったときに写真を撮ろうとしたら、いつもは誰も何も言わないのにその最奥の村だけは仲間のシェルパに「カメラを出すな」と言われたんです。

「ここはタリバンの潜伏地に近い。村人とタリバンの関係が疑われているし、高価なモノを見せないほうがいい。子どもに話しかけられても話すな」と。そんなことを言われたのは初めてでした。ほかにも、ずっと銃を持った警備員がチームに帯同していて、ベースキャンプを出て村まで行こうとすると、「ダメだ」と止められたり。

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石川直樹(いしかわ・なおき)●写真家。人類学、民俗学に関心をもち、辺境から都市まで旅をして作品を制作。2001年にエベレストに登頂、当時の七大陸最高峰登頂世界最年少記録を更新。『最後の冒険家』で開高健ノンフィクション賞受賞。『CORONA』で土門拳賞受賞。最新刊に写真集『Kangchenjunga』、『Manaslu 2022 edition』など。

ヒマラヤ地域はチベット問題とも大きな関わりがあります。チベットの僧侶たちがヒマラヤを越えてネパールに入ろうとしたら、中国の国境警備隊に撃たれるような事件もありました。武器を持っていないお坊さんが、ですよ。人を寄せ付けない高峰での登山とはいえども、そのときの政治状況や社会的なうねりと無縁ではない。戦争ではないですが、国境とは何なのか、常に考えさせられています。

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『TRANSIT56 美しき世界の山を旅しよう!』で石川直樹さんが執筆した2022年のヒマラヤ遠征の取材記。


松村 : 私も最初にエチオピアに行ったのが1998年だったのですが、渓谷で写真を撮っていたら軍の車で連行されて、尋問されたんです。「ここには軍の基地があるのになんで撮影したのか」と。幸いすぐに解放されましたが、ちょうどエリトリアとの国境紛争が起きて、緊張が高まっていた時期でした。

2010年くらいからフィールドワークで通っているエチオピア北部のラリベラという都市は、2021年11月にはじまった内戦で戦場になりました。ラリベラは世界遺産にもなっている岩窟教会群がある町で、高級ホテルなども増えて、観光地として世界中の人が訪れるような場所です。

エチオピア国内のティグライ州の軍がアムハラ州に侵攻したときに、ラリベラも占領されたんです。占領軍が撤退した後に現地の親しいホテルのオーナーに電話をしたら、街が破壊されて、ホテルのベッドも家具も車もすべて持っていかれたと言っていました。

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同じ国で、同じ宗教で、多少言語は違うのですが、なんで殺しあい、生活基盤を破壊する必要があるのか。日本で生まれ育った私も戦争を知らないとか言えないなって。1998年のエチオピアとエリトリアとの紛争のときも、私はエチオピア南部にいたのですが、調査した村の親しかった若者が兵士として出征して亡くなりました。今も優しい彼の笑顔が目に浮かびます。

エチオピアとエリトリアは、もともと一つの国だった時代もあって、国境をはさむ民族もそんなに変わりはないし、何が違うかといったら、エリトリアが長い期間イタリアの植民地だっただけなんです。でもいったん国境線が引かれると殺すべき敵に変わってしまう。石川さんは写真集『ARCHIPELAGO』などで国境線がないような海をめぐられてきたわけですが、国境線をどう捉えますか?

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石川 : 沖縄から北海道、台湾やサハリンを含めて"群島"としての列島をとらえた『ARCHIPELAGO』や、ポリネシアの島々を写した『CORONA』という写真集を過去につくりました。目に見えない国境を越えて旅をしながら、国境によって区切ることのできない人や文化の繋がり、あるいは国境による断絶について、自分なりに考えていく視座を得るために旅を続けてきたところもあります。

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たとえば日本列島は、北海道島や本州島、四国島、九州島があって、トカラ、奄美、沖縄、宮古、八重山と島々が連なり、その南には台湾があります。北は北方領土やサハリンなどからカムチャッツカ半島、ロシアにつながっていく。日本列島は島の連なりのなかにあって、国境はもちろんあるけれど、そこには曖昧な部分だったり、緩やかなグラデーションを描いて接続しているポイントもまた存在します。列島としての日本の南北をずっと旅してきました。

ポリネシアでいえば、そこはいくつかの国に分割されてはいるけれど、ポリネシア語でつながっている。ハワイだったら「ハワイイ」、ニュージーランドは「アオテアロア」、イースター島は「ラパヌイ」といったポリネシア語の島名がついていて、ヨーロッパの3倍もの広さの海域なのに海によってつながっています。一方で、ヨーロッパはポリネシアよりも面積はだいぶ小さいのに無数の国境がひかれ、言語も分かれています。それはいったいどういうことなのか。自分の身体で確かめようと、島々を旅してきた部分が大きいです。

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松村 : 日本は海に囲まれているので、ほかから切り離されているように思われがちですが、海はむしろ外の世界に開かれているんですよね。今も昔も大量に物を運ぶには陸路より海路がよかったりもします。海に囲まれている日本は、どこまででも広がっていける人の動きがあったように思います。

石川 : 孤島とか離島という言葉があって、島は閉じているというイメージがあるのかもしれませんが、実は四方八方から人や物の流れがあって、ある種のクロスロードになっていたり、海が隔てるものではなくて繋げるものである、というのは島々を旅していて実感できます。

陸路の視点でしか見なければ、半島とか岬と聞くとどん詰まりのイメージをもつかもしれませんが、海路では入り口ですよね。そうやって考えていくと、国境で分断された世界からちょっとずつ国境が滲んでいく感覚があって、今まで知っていたつもりになっていたのとは別の世界地図が目の前に立ち現れていく。

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松村 : 国境があるんだけどなくなっていくみたいな感覚。もともとそこに線はなかったはずですよね、歴史的には。いつからかその線を越えると、パスポートチェックが必要だったり不法入国者になる。同じ人間が国境を超えただけで違法な存在になる。

たとえば日本で難民申請が通らなかった人は法的にも「仮放免」という過酷な状態におかれます。一時的に滞在してもいいけど働いてはダメみたいな。日本で暮らしている人に働かずに生きていけというのは無茶な話ですが、国境を超えた人にはそんな人権を無視した要求ができてしまう。国境という線で人間の生存条件が変えられてしまうのはなんだろうなと考えさせられます。

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エチオピアにはおよそ90の言語があって、でも一つの国にまとまらなくてはいけないというのが紛争の火種なんですよね。どこの民族が主導権を握るか、権力闘争の側面が大きい。ポリネシアもそうですよね。植民地支配のもとで、繋がっていた人びとが国境によって分断され、国という枠組みに押し込まれたわけで。

石川 : 島ごとにちょっと村が違うという感覚だったのに、国として分かれることで、人もモノも行き来が制限され、考え方も固定されてしまったりする。国家ってなんだろうと考えます。松村さんはナショナリズムや国家について書いている著書もありますよね。今日の映画『Trans-Antarctica Expedition』の舞台になっている南極は、どこの国にも属していない唯一の大陸です。北極はノルウェーやロシアが領有権をもっていたりするのですが、南極はどこにも属していないという稀有な場所です。

松村 : この映画は、国境を問い直す部分があるなと私も受け取りました。みんな6カ国の国旗を背負っているのですが、6人でチームを続けていくうちに、その人がその国の人だからそうだと思わなくなってくる。日本で生まれ育った人のなかでもすごい多様なのに、国旗を背負って国の代表になるとその国には一つの人格があるようなイメージがありますよね。南極で一緒に命をかけた旅を続けるなかで、その国境線の分け方が剥がれていく瞬間がある。

石川 : 「私たち日本人は」とか「We」という人称で語る人を僕はあまり信用していなくて。「私は」と話すべきじゃないか。「日本人は謙虚で思慮深い人たちです」といったときに、そうじゃない人も必ず含まれる。時の権力者や政治家などが「私たちは」と言うときなんかは、とくに注意が必要ですね。自分もそこに入れられているのだろうか、入れないでくれ、などといつも考えてしまう。ただ、南極のような極地遠征で国旗を背負ってしまうと、「日本人はこうだよね」という会話はなかなか避けられない。

22、23歳の頃、「Pole to Pole」という国際プロジェクトで7カ国の若者が集まって北極から南極まで旅したとき、"お国柄"みたいなことを議論する会話によくなって、違和感をもちながらも話に加わっていたことを映画を観ていて思い出しました。

松村 : 私は岡山県に住んでいるんですが、岡山から見える日本の歴史って全然違うなと思うんですよ。実は以前、石川さんと岡山で会ったことがあって、そのときに鬼の話をしたんです。石川さんが写真を撮られた大分の国東半島にも鬼の祭りがあって、岡山にも鬼の伝説があります。岡山の鬼は百済の王子とされていて、百済から移り住んだ人たちがいた。そこにはおそらく鉄生産が関わっているんですよ。瀬戸内という海を通して、国東と岡山の関係の深さが見えてくる。

岡山や瀬戸内海は、人の流れも文化の流れも、歴史的に朝鮮半島とのつながりの先端にあるような場所。そうやって見渡すと、日本って現在の国境線に沿って成り立ってきたわけではなく、海で中国大陸や朝鮮半島と繋がってきたと捉えることができる。ただ戦争となると、国境線の向こうは殺すべき敵になってしまう。ロシアとウクライナも人が混じり合っているけれど、戦争になると殺し合いになってしまう。

映画でも南極には国境がないはずなのに、東西冷戦の影響で、国と国との外交関係や国籍によって影響を受ける現実が描かれていました。石川さんも、ヒマラヤの山へ登るときは国際チームが協力するわけですよね。

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石川 : 国際隊では、微妙なやりとりが結構おもしろいんです。自我を出しすぎても喧嘩になるし、譲りすぎてもストレスがたまる。自分自身がどのように振る舞うかはチームによる長期遠征の肝でもありますね。映画にも人間関係の機微が映り込んでいました。この長旅のなかで6人はどこまで本音で話し、どこまで抑えているんだろう、と考えながら観ていました。


―――この「THINK SOUTH FOR THE NEXT」のイベントでは、対話の重要性も伝えたいことの一つとしています。映画『Trans-Antarctica Expedition』に登場する6名の冒険家たちの対話はどういうものだったのか、また松村圭一郎さんと石川直樹さんの対話のなかで生まれてきたものはなにか。みなさんも平和についてどなたかとお話しいただけるとうれしいです。

松村圭一郎さんと石川直樹さんには、平和を実現するにはどういう道があるのか、この対話のつづきを『TRANSIT59』に掲載予定です。ぜひこちらもご覧ください。


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「THINK SOUTH FOR THE NEXT」プロジェクトと連動して発売されたプロダクト。
*在庫状況によっては売り切れの場合があります。ご了承ください。



■PROFILE transit_thinksouth_c_13-min.png 石川直樹(いしかわ・なおき)●写真家。人類学、民俗学に関心をもち、辺境から都市まで旅をして作品を制作。2001年にエベレストに登頂、当時の七大陸最高峰登頂世界最年少記録を更新。『最後の冒険家』で開高健ノンフィクション賞受賞。『CORONA』で土門拳賞受賞。最新刊に写真集『Kangchenjunga』、『Manaslu 2022 edition』など。(写真左)

松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)●岡山大学文学部准教授。文化人類学を専門とし、エチオピア、中東、瀬戸内でフィールドワークを行う。富の所有と分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。『うしろめたさの人類学』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。ほかに『くらしのアナキズム』『はみだしの人類学』『所有と分配の人類学』など。(写真右)


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